セーリング
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Update (2010/08/15)      

bullet今の相棒:BUDDY X (ローマ数字の5)

2007年12月22日(土曜日)。志賀ヨットクラブで、それまでの"BUDDY V"から"BUDDY X"に乗り換えました。YAMAHA Festa24 (中古艇)で、"BUDDY V"同様にセルフタッキング・ジブ 仕様の艇です。一番大きく変わったところは、キールの無いセンターボード艇からバラスト付きのキール艇に変わったことです。重心の位置が下がったので、ヒール時の安定性がかなり高まりました。外観も仕様も多くの点で"BUDDY V"と似通った兄貴分と言った感じの艇ですので、すんなりと馴染めて今では大のお気に入りです。

BUDDY X

bullet3番目の相棒:BUDDY V (ローマ数字の3)

1996年5月5日、志賀ヨットクラブ(滋賀県滋賀郡志賀町=2006年3月20日滋賀県大津市 と合併、大津市和邇北浜)で進水。仏・Jeanneau社製・20ftのミニ・セーリングクルーザー。キャビンは小さくて窮屈ですが、コクピットは広くて快適です。セルフタッキング・ジブなのでショートハンドでも何とかなります。
ほとんど何時もワイフと二人で乗艇します。力技のセールトリムは私、ティラーはワイフ。軽量のセンターボーダーなので、腰が軽くて強風ではヒールとウェザーヘルムが強いのですが、リーフしてやれば軽量の強みを発揮して快適に走ります。

セイリング中のコクピット

2007年12月22日に"BUDDY X"に乗り換えるまでの11年7ヶ月の間に、この"BUDDY V"で151回のセーリングを行いました。月2回、年間で20回くらいは乗りたい と思っていたのですが、なかなか都合良くは行かないものです。

bullet2番目の相棒:BUDDY U (ローマ数字の2)

横山晃設計のY15U(セールナンバー3386)、1978年から1996年まで足掛け18年間、神戸市立須磨ヨットハーバーにお世話になりました。1978年7月8日、北ハーバーへ搬入したばかりの新艇。

Y15II (7926 バイト)

神戸市立須磨ヨットハーバーは、1978年に従来からの北ハーバーの施設が改良され、同時に大規模に新設された南ハーバーが完成し、新規に利用者が募集されました。これに応募したところディンギ部門は4倍強の競争率でしたが、幸運にも当選しました。それまで乗っていた艇(ホビーキャット14)を使おうかとも思ったのですが、次のような悪条件が重なったので、新艇に入れ替えました。

(1) 北ハーバーのスロープでの揚げ下ろし用にカタマラン(双胴艇)用の船台を新調しなければならない(これが高い!)こと。
(2) カタマランは浜からの離岸着岸が得意な艇(琵琶湖では浜さえあれば何処へでも着岸、何処からでも離岸できて、楽しかった!)なのですが、須磨では海水浴シーズンの浜への乗り入れが規制され始め、そのメリットも享受できなくなったこと。
(3) 北ハーバーから艇を出すには、ハーバーからまず妙法寺川の水路に出て、水路を南下し須磨港(明石大橋が架かり、今は無くなった淡路フェリーの乗り場)に出て、南ハーバーの港口を経由して港外へ出ることになりますが、この水路をタッキングの不得意なカタマランで出入りするのは快適とは言えないこと。

こんな理由で、新しい艇に入れ替えました。マストが風で唸るような高速艇のカタマランから、鈍足でも小回りが利き安定性の高いスループへの大転換です。シングル・ハンドでの乗艇が 多いので、多少の荒天でもメインセールのリーフ、ジブ帆走などでの耐候性・可用性の高さ、俊敏でなくても安定性が高いことなどから、 最後はヤマハ15と横山晃設計のY15IIの比較の結果、安定性に優れるY15IIに決めたという訳です。

bullet最初の相棒:BUDDY

ホビーキャット14(セールナンバー11522)、1973年から5年間、琵琶湖野洲川尻のマイアミ浜に陸置き。セールの後ろにちょこっと見えているのが琵琶湖最大の島・沖島です。
ホビーキャットって?という方は、次のサイトをご覧ください。http://www.hobiecat.com/

HobieCat 14 (5891 バイト)

学生時代は山岳部で山登りとスキーに熱中していましたので、ヨットとはまるで無縁でした。卒業して社会人になったとたんに、在学中からやりたかったスクーバ・ダイビングを始めました。そこで知り合ったダイビング仲間の影響を受けて西宮ヨットハーバーで行われていたヨット・教室に通いました。子供時代からずっと父親の影響で海遊びには長けていたこと、年間100日以上山登りをやるような生活を送っていたので気象(観天望気)とかロープワークなどは身体に染み込んでいたこと、アウトドア生活に身体が馴染んでいたこと、などから、ヨット(ディンギ)遊びが頭にも身体にもぴったりと合致したという感じで、瞬く間に虜になってしまいました。そんな風ですから、セーリング技術もスムーズに身に付きました。4年半ほどは、知人のディンギのクルーをしたり、クルーザーのクルーに採用してもらったりで経験を 積み、1973年の夏の終わりに、当時世界的に大ブレイクし始めていたホビーキャット14を購入しました。

その頃輸入販売が開始されたばかりのホビーキャット14の国内定価は確か55万円(?)だった記憶があります。 大卒入社5年目の若造に簡単に手の出せるものではありません。ところが、この半年ほど前に、冬のボーナスを元手に怖いもの知らずで”株”というものに手を出していたのですが、これが正にビギナーズラックというやつで、半年で30数万円の利益を出したのです。現金で持っていたら、暫く経てばどこかに消えてしまいます。思い切って欲しかったヨットを買うことにしました。ホビーキャットは国内発売されたばかりで、輸入販売開始を記念する特別価格が30万円弱に設定されていたのも購入を決断する大きな要因でした。同時に、セーリングエリアと艇の保管場所についても、当時はまだ珍しかった「オートキャンプ場」が琵琶湖野洲川の河口東に広がるマイアミ浜に出来たのですが、ダイビング仲間にそこのメンバーが居たので、その紹介でホビーキャットの浜での陸置き保管を頼み込みました。艇は専用浜に陸置き、ラダー、ブーム、セール等は管理事務所に預かってもらい、夏場はシャワールームも使えるような条件で、年間4万円の利用料で預かってもらう約束が出来ました。

家族社宅(ホビーキャット購入当時は独身寮)からJR(当時はまだ国鉄)で野洲駅へ、野洲駅からはバスで菖蒲浜(マイアミ浜の東隣)まで片道所要時間は2時間半。3月から12月の間、足繁く通ったものです。山登りをやっていたのでキャンプは得意中の得意、北湖の周辺で何回かキャンプしながらのセーリングも楽しみました。タープが一枚あれば、浜に引き上げたホビーキャットのトランポリン部分の下が快適なテント代わりになります。

この艇は、須磨に新艇を入れるときに、"舵"誌の「売ります・買います」のコーナーで、すんなり引き取り手が現れ、そこそこの価格で、現地でお譲りしました。

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