| 濃霧のため午前11時まで出港できず、午後3時間ほどのセーリング |
1998年12月19日(土曜日)
ワイフと二人で琵琶湖へ出かけました。志賀ヨットクラブへは昨日中に電話で出かける旨を伝えています。
いつものように7時52分JR塚口駅発の電車で出発しました。尼崎は快晴。移動性高気圧に西日本、近畿、東海がすっぽり覆われて天気は非常に安定しています。山科までは快晴。ところが西大津から琵琶湖方面は一面の濃い霧に覆われていました。堅田に着いたころには、湖上は濃霧で全く見通しが利きません。
志賀ヨットクラブに到着しましたが、この濃霧ですから艇は降ろしてありません。風も無く、デッキやデッキ周りの金属部分などがしっとりと濡れています。風のない晴天の夜間に起きる温度層の逆転現象なのでしょう。風が出るか、時間が経って霧の上空部分が徐々に暖められ薄れて来ない限り、暫くこの濃霧は晴れそうにありません。
仕方がないので、陸置のヨットの上で温かいお茶でも沸かして艇内の荷物の整理などをすることにしました。
10時ごろになって、やっと太陽が霧を通して丸い月のように見えてきました。上空から霧が太陽に暖められて徐々に晴れてきているようです。しかし、まだ地表や湖面では霧が濃く見通しが利きません。晴れるのを待つ間に、艇を降ろしてもらうことにしました。
11時前になって少し見通しが利くようになったので、11時ジャストに出港しました。15時帰港予定です。
エリの外に出たところでセールを上げました。風はほとんどありません。空は徐々に明るくなって時折霧の切れ間から太陽も見え始めました。風は全くありません。比良の山並みはまだ全く見えていません。何もすることがないので、セールを降ろし、デッキの掃除をすることにしました。久しぶりにコンパウンドを使ってデッキの汚れの目立つところを丁寧に拭きました。びっくりするほど白く綺麗になります。塗料の表面をコンパウンドで削ってるのですから白くなるのは当たり前ですが、これをあまりやり過ぎると結局塗装面が無くなってFRP本体を露出させてしまうのであまり良くないと言うことらしいです。コクピットは水洗いして埃や小さなゴミなどを洗い流しました。
11時40分から食事の用意。バーナーでお湯を沸かし、カップヌードルと弁当の昼食。
12時過ぎには、霧はすっかり晴れて抜けるような青空になりました。風も僅かに吹いてきました。兎に角風さえあればやっぱりセーリングです。弱い北の風です。ワイフは寒い中、眠いというので寝袋を出してコクピットで昼寝です。
この間、アビームからリーチングで長命寺の少し北、水ヶ浜辺りを目指してゆっくりと進みます。
まだ水ヶ浜までかなり残したところで13時30分になったので、タックして反転。風が少し出てきたので、気楽にセーリングできるようになりました。ティラーをショックコードで固定してセールのトリムを調整したりもできます。波が無いので、セールトリムと体重移動の微妙な関係をいろいろ試して見ました。
14時ごろになって、風はもう少し良くなって、軽いヒールで快適に走るようになりました。観測塔付近からはリーチングで一気に志賀ヨットクラブ沖に近づきました。その辺りで小刻みにタックやジャイブなどの練習を繰り返しました。漁網用の小さなブイをマークに見たてて、その周りをワイフはタックで周り、私はジャイブで回る練習。ワイフはアビームからクローズホールドに移りマークを回るためにタックに入るタイミングの練習をします。車のように丸く回ろうとするので行き足が落ちて回りきれません。クローズホールドからタッキングで反対タックに入り、ぎりぎりマークをかわしす艇の軌跡は直角に交わる直線になるような意識でなければと言うのですが、回ろうとする意識が先に立ってしまいます。
15時10分、志賀ヨットクラブに帰港。
和邇駅16時29分発の電車で帰りました。
| ジェネカーでのセーリングが中心の一日 |
1998年12月12日(土曜日)
先週は会社で課内旅行があったのでセーリングには出かけられませんでした。昨日は季節風が強く六甲山の方では時々時雨が見えていました。天気予報では大陸からの移動性高気圧が近づき土曜から日曜日に掛けては晴天が続き、穏やかな天気になるということです。
いつものとおりの時刻に出発。快晴なので朝はぐんと冷え込んでいます。
9時過ぎに電車の中から志賀ヨットクラブへ携帯電話を入れて9時40分ころに到着する旨を伝えました。和邇駅に着くと素手が縮かむような気温です。5度以下かもしれません。スキー用のタイツを履いてきて正解でした。比良の山並みは上三分の一くらいの所まで定規で水平に線を引いたように雪で白くなっていました。
志賀ヨットクラブに到着したら、スタッフの藪さんが下架作業中で、直ぐに艇は港内の桟橋に降ろされました。早速、燃料タンクをホースに繋ぎ、エンジンを始動します。アクセルをふかして始動しアクセルを弱めると、二度エンストしてしまいました。3度目は、アクセルレバーを上げてふかす時間をちょっと長めにしてからアイドリングに移したところ安定しました。
北湖の天気は曇りで、薄い雲のところどころに僅かに青い空が覗いていてます。風は南西から南東の間で2m/s位。波はほとんどありません。寒さ対策に山用品の薄手の合成皮革の手袋を買ってきました。この上にセーリンググローブを重ねます。山用タイツの上にジャージを履きその上にセーリング用のショートパンツを重ね着しました。スニーカーはブーツに履き替えました。
桟橋で出航の準備。セールカバーを外し、ジブをセットして、10時出港。今日は、沖島目指してセーリングし、15時帰港の予定です。エリの外に出て南の風に艇を向けてメインセールを揚げます。中間まで揚がって、その後がなかなか揚がりません。前回ワンポイントリーフした時のクリューロープがクラムクリートにかかっていて締まったままになっていました。その所為でハリヤードを引いてもセールが上がらないことに気付くまでに暫く時間が掛かってしまいました。これは私のチョンボです。ジブを上げ、リーチングで長命寺方向を目指します。
風は時々弱まってほとんど無風になりますが、直ぐまた少し吹き始めるという不安定な風の繰り返しです。1時間ほど走って観測塔を北に見る辺りで、風が落ちてしまいました。セールを降ろして早目の食事にします。バーナーでお湯を沸かしカップヌードルを作ります。持参したご飯とツナフレークの缶詰に暖かいカップヌードルという組み合わせです。温かいものが寒いヨットの上では大ご馳走です。
食事をしていると、志賀ヨットクラブのほうから大型艇が1艇出港して来たようです。デッキに子供も混じった5人くらいの人影が見えますが、観測塔まではこないで引き返して行きました。志賀ヨットクラブ沖でセーリングを楽しむのでしょう。
食事を終えたところで、ジェネカーを揚げることにしました。南の風なのでスタボータックでアビームで走れます。少し風が出てきたので、ジブの裏でジェネカーを揚げようとしたのですが、半分ほど上がったところで一気に風を孕んでしまいハリヤードをウインチで引いているのですがなかなか揚がりきりません。少し下手に向けてやれば楽に揚げることが出来たのに、その時は夢中でなかなかそこに気が付きません。何回も経験して賢くなるしかないようです。
暫くして、ワイフがティラーを握っている時、風が弱まっていつの間にかジャイブしてしまったようです。ワイフはそのまま舵を艇の向くジャイブ方向に回して行くものですから、ジェネカーが完全に裏になってフォアステイに張り付いてしまいました。私はデッキに出て大慌てでクリューを掴んでフォアステイの向こうに回し、手で裏返してからシートを引きタックを変えることができました。風が弱まった時だからこれで済んだのですが、風が強かったらワイルドジャイブに加えジェネカーがフォアステイに絡んだりして大変だったかも知れません。風の弱くなった時も注意怠らないこと。
これでタックが変わって湖西方向を向いてしまったので、もう一度ジャイブして元のコースに戻すことにしました。今度はジャイブの後半のタイミングでジェネカーシートを一気に引くだけで、クリューがフォアステイの向こうを回ってジェネカーが自然に風をはらみ上手く展開できました。
そのまま、沖島方向を目指します。ワイフはコクピットにいると寒いというので、暫くキャビンに入って風を避けます。
12時20分、沖島まではもう一息ですが、ジャイブしてタックを変え、コースを北に向けます。このジャイブも上手く行きました。風が少しづつ良くなって来ました。南西から西に振れてきたようです。北の方では雲が切れて日が射しています。コンパス0度を目指して見かけの風がアビームになるくらいのところの好い風が吹いてきました。ジェネカーを一杯に使って、艇が快走し始めました。12時40分からの30分間ほどが今日最高の走りでした。湖面に大きな波が無いので実に滑らかなセーリングです。
13時20分になったところでジェネカーを下ろし、艇を志賀ヨットクラブに向けました。風は南西なので、真上りになります。やや強めの微風ですが安定して吹いている上に湖面に波がないので艇速は安定しています。このままセーリングで帰れそうに思えます。ワイフがティラーを握り、何回もタックの練習をします。観測塔を越えて暫くしたところで、蓬莱山の上辺りから南東の方向に伸びる細い雲の下に風の吹き出しの線が見えてきました。徐々に風が強まり艇のスピードが上がります。私一人のウエイトで十分ヒールが押さえられる程度の風なので鼻歌が出るくらい気持ち好いセーリングです。
14時40分にセールを降ろし、機走で志賀ヨットクラブを目指しました。機走中にジブを外し、メインセールを降ろしブームに畳みカバーを掛けました。15時5分帰港。
桟橋で完全に後始末を終えて、後の上架作業をスタッフに任せました。着替えをしてゆっくり休憩。クラブハウスでは、係留艇のバーベキューパーティーが行われていました。クラブのスタッフからペチカで焼いた焼芋を頂きましたが、これがとても美味。本物の薪を焚くペチカです。寒い時期にこのペチカの赤い火を見ているととても暖かく感じます。
JR和邇駅16時29分初の列車で、堅田で新快速乗り換え、大阪で新三田行きの列車にうまく乗り換えられたので、17時50分には帰宅出来ました。
| 強風とブローの試練 |
1998年11月28日(土曜日)
昨晩の雨が朝にはすっかり上がって快晴。天気予報では滋賀北部は最高気温14度、天気は晴れ時々曇り。ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけることにしました。
出発は何時もより20分ほど遅れました。9時10分頃、電車の中から携帯電話で志賀ヨットクラブに出かける旨連絡しました。
到着してみると、北の風は重くしっかりと吹いていて沖合いには大きな白波がたくさん見えています。ブローの黒い風の跡が何本か見えています。スタッフの藪さんから次の様なアドバイスがありました。「時々ブローがくるのでリーフして凌ぐように」、「ジブ帆走では上れないので降ろすのならジブを先にしたほうが良い」、「ブローがきついので万一の落水も考えてライフジャケットを着けるように」とのことです。
結構大きな波があるので、港内の桟橋でジブのセット、レイジージャックをセットしメインを上げる準備などを完了して、ブローの合間を狙って10時35分出港。
港外に出ると、波が大きいのでバウが大きく波を叩きます。エリの外に出たところで、早速メインを揚げました。ブローが来るのを予想しているので最初からワンポイントリーフです。メインをセットしたところでポートタックのクローズホールドで帆走に入りました。メインをセットし終わったところで、船外機をチルトアップしました。その後ですぐにジブを揚げます。風が強いのでヒールが大きいです。ブローを伴う強風なので波が大きくなっています。周期的に風が強まって大きな白波の波頭が風で吹き飛ばされ、バウが波を切った時のスプレーと一緒にデッキ上まで飛んできます。
大きな波を越してすぐに次の波をバウが叩いた時には、バウデッキの上まで波が上がってきそうです。二度目のブローが通りすぎて一瞬穏やかになった時間帯を使って、ジブを降ろしておくことにしました。
慎重にバウに出て、大きな上下動にバランスを取りながらジブを引き下げてバウパルピットに結びつけます。ワイフは寒いのとスプレーを浴びるのでGILLのズボンを、ライフジャケットの上からGILLのジャケットを着用。私もGILLのズボンを着用。これで多少スプレーを浴びても安心です。
暫くすると再び風が強まり、早めにジブを降ろしておいて正解でした。ジブ無しメインのワンポイントリーフだけでも二人がガンネルに座ってヒールを押さえるのがやっとでした。しかし、ジブを降ろすと風が強まるにつれてウエザーヘルムも強まりますので、ティラーを引くのがとても重くなりました。いつのまにか観測塔がかなり南に見えて北北東に切り上っています。手持ちの
SILVA Windwatch で見掛けの風の風速を計ってみたところ、平均で9.1m/s、最高で12.5m/sでした。
風はますます強くなり、ブローの時には風を逃がすとシバーが酷くシートの出し入れでメインセールの微妙なコントロールをするのは困難で、ティラーを細かく使って余りウェザーヘルムに逆らわず僅かに艇を風上に向ける方が楽にブローに対応出来るようでした。
12時になりましたが、更に風は強まってくるようです。ずっとポートタックで帆走し続けていますので、ティラーを引く右腕もメインシートを引く左腕もかなり疲れてきました。これ以上無理せず、反転して志賀ヨットクラブへ帰ることにしました。ブローの時には15m/s以上にもなっているかもしれません。
大きな波にバウを叩かれないようにタイミングを計って波の合間を縫ってタック。スタボーのリーチングに変わると追い波になってバウが叩かれることが無くなり艇の進みが一気にスムーズになりました。艇のコントロールがちょっと楽になったら、風の方向と波の方向が一致していないのに気が付きました。風は北なのですが、波は北東からやって来ます。風と波の方向がずれている為にポートタックの上りでは、バウが波に直角に当たって苦労したのですが、反転してスタボータックのリーチングになった時には追い波になりとても楽になったと言う訳です。
このまままっすぐ志賀ヨットクラブを目指します。時折のブローにウエザーヘルムを押さえるのに苦労しながら、波に乗ってサーフィンもします。波の前方に乗った時にはティラーを思い切って引き気味にし波の斜面でスピードアップ。ラダーもぶるぶる震えるほどです。波に追い越されると逆ヒールするので一気にティラーを戻さないと風に落ちすぎます。この舵のタイミングを上手く合わせないと艇が大きく蛇行してしまいます。
青柳浜の沖まで来た時に湖面を見ていると進行方向の湖面が白く波立って荒れているのが分かりました。打見山の北側の谷筋から松ノ浦を通りぬけるラインに風の道があって強いブローが吹きこんでいるようです。直ぐにその風域に入りました。沖合いの風より風の強弱のサイクルが短くて翻弄されます。暴れ回るような風です。これを何とか凌いで、志賀ヨットクラブにもう少し近づいたところで、短時間ですが風が安定した間合いがあったのでこのタイミングを逃さずセールを降ろし入港のため機走に切り替えることにしました。一気に艇を風に立て、メインセールを降ろしました。艇を元のコースに戻すと、セールを降ろしているのに艇への風圧だけでぐんぐん進んでいきます。ブームの上にセールを縛り、艇を安定させてから、船外機を下ろしてスターターロープを引きました。しかし腕が疲れているので、揺れる艇の上でしっかりとロープを引くことが出来ません。3回目にやっとエンジンが掛かりました。一気に機走で志賀ヨットクラブを目指します。
志賀ヨットクラブが近づくと、BUDDYが入港しようとしているのに気が付いてくれたとみえて、桟橋の向こうでスタッフの藪さん等が入港の準備をしてくれているのが見えます。北の風に流されないように港外の桟橋沿いにでは普段よりスピードを保ったままで掘割に進入しました。12時45分入港。艇が港内に入ると直ぐにゲートを閉めてくれたので波が穏やかになりました。そのまま桟橋に舫ったままで、艇の後片付けをしました。バウデッキに縛り付けていたジブはずぶ濡れでしたから、桟橋に広げて乾かしました。暫くして一通りデッキが片付いたところで、艇を上架して貰いました。
風はヨットクラブ周辺の陸上でもかなり強くて、ブローが来ると枯れ葉や砂埃が舞い上がり、陸置き艇のリギンから風の唸りが聞こえます。湖面は浜の近くまで一面の白波です。疲労が高まる前に早めに帰ってくるというのは良い判断だったと思います。ハーバーマスターの藪さんは「良い練習になったでしょう」と声を掛けてくれましたが、スタッフの方々にはちょっと心配を掛けたかもしれません。BUDDYは一応セーリングクルーザーの格好はしていますが、なんと言ってもディンギーをちょっと大きくしたような軽量のセンターボード艇ですから。
艇が上架されいつもの位置に置かれたところで、14時からキャビンで遅い昼食にしました。バーナーでお湯を沸かしカップヌードルをつくって弁当を食べました。お腹が一杯になり、ほっと気が緩んだのでしょうか、一日中強風でセーリングしたかのような疲れを感じてしまいました。それにしても今日のセーリングは良い勉強になりました。
和邇駅発15時29分の電車で、京都から快速、17時過ぎに帰宅。
| 長命寺往復、復路はジェネカーで |
1998年11月14日(土曜日)
久しぶりに志賀ヨットクラブへ出かけることなりました。ワイフと二人です。前回が10月10日でしたから1ヶ月ぶりです。
天気は晴れ。
昨日電話で予約していましたから、艇は既に港内の桟橋に降ろされていました。早速、燃料タンクを接続してエンジンの始動。スターターロープを2度3度と引きますが、掛かったように思えても直ぐにエンスト。アクセルレバーを引き上げて始動すると何と掛かりますが、すぐにアクセルレバーを降ろしてアイドリングに移ると再びエンスト。燃料の送りが足らないのでしょうか。ポンピングしてみてもしっかりと硬く圧力が掛かっているので問題ないように思えます。もう一度アクセルレバーを引き上げて始動。青い排気煙が出てから暫く待ってアクセルレバーを降ろしたところ、やっと安定したアイドリングに入りました。ポリタンクに飲料水を積みこみ、セールの準備をしながらワイフの着替えとトイレを待ちます。
今日の予定は、沖島〜長命寺辺りを目指して風なりにセーリングして帰ってくると言う計画です。
10時出港。
湖岸の風は北東1.5m/s前後。SILVA Windwatch
という軽量で小型のデジタル風速計を購入したので初めて使ってみました。現在の風速、最大風速、平均風速などが表示されます。あくまで見掛けの風ですが。
エリの外へ出たところですぐにセールを揚げます。ところがリーフロープがブームエンドに絡んでいたり、ジブシートを結び忘れていたり等の不注意なミスがあってやり直し。
風は弱いのですがスムーズに走り始めました。風のありそうなところを探しながら北を目指します。東より北側に漣のある黒い水面が多く見えています。しかし、風下側のガンネルに私が乗ってウェイトになりヒールを強めて何とかセールが風を孕む状態です。波が無いので艇が揺れず、なんとか進んでいます。風を探してタックを繰り返すこんな状態が1時間ほど続く内にワイフはコクピットに寝袋を出して昼寝に入ってしまいました。
11時過ぎに観測塔の南西近くまで来たところで、艇を東に向けます。風は微かに感じられるという程度の超微風です。観測塔の南をやっと通過して、11時40分から食事の準備に掛かりました。艇を長命寺に向けアビームでのセーリングにセットして、ティラーを固定し、後は暫く艇と風に任せます。バーナーでお湯を沸かし、キツネどんべいとカップヌードルを作りました。そろそろ温かい麺類がとて美味しい時期です。12時過ぎに食事を終えました。
食事を終えた頃やっと風が少し出てきましたので、しばらそのまま長命寺を目指すコースを取ります。ワイフは再び昼寝。13時になってやっと長命寺港の近くまで来たのでここで反転。帰りは、ジェネカーで行くことにしました。ワイフも昼寝を終えてジェネカーを揚げる準備。スタボータックでコンパス300度から270度の範囲にコースを取れば、リーチングで快適に志賀ヨットクラブまで帰れそうです。
佐波江の沖にあるエリの辺りでウィンドサーフィンのレースをやっている様子です。それを避けるように330度でジェネカーでぎりぎりまで上ってみました。微風ですがジェネカーを使うと艇速がぐんと上がります。和邇港の沖辺りまでジェネカーで来て、14時50分にセールを降ろしました。
機走しながらセールの始末をして15時10分帰港。
和邇駅16時29分発の電車に乗って、18時10分帰宅。
| 沖島周回の予定も風が無く、機帆走で沖の白石往復 |
1998年10月10日(土曜日、体育の日)
尼崎は素晴らしい快晴。天気予報では、兵庫県北部日本海寄りでは雲が出やすいとのことだが、この辺りは澄んだ青空が広がっています。
昨日、志賀ヨットクラブに電話で出かける旨伝えて、燃料も満タンにしてもらうように依頼しました。先日舵社の通販で購入したボートフックと SILVA
Windwatch(超小型軽量のデジタル風速計兼温度計)を持ってゆきます。
いつものように塚口発7時52分の列車で、尼崎で新快速乗り換え、京都で湖西線乗換えで、和邇駅に9時15分着。
道すがらデジカメで喜撰川沿いのコスモス等を写しながら志賀ヨットクラブへ向かいます。
志賀ヨットクラブに着いたら、今日は他にも2艇が出港準備にかかっていました。
飲料水を詰みこんで、燃料タンクのセット。9月12日からほぼ一ヶ月ぶりの乗艇です。今日もエンジンの掛かりが悪くて、何回かスターターロープを引き直します。アクセルレバーを上げて起動し直します。何とか掛かるのですが、アクセルレバーを戻すと直ぐにエンストします。もう一度起動しなおして、今度はエンジン音が高くなり排気ガスが青っぽくなるのを待ってアクセルレバーを戻したところ安定して回り始めました。
今日は、沖島周回、16時帰港の予定です。
10時丁度出港。風は非常に弱く、北東の風、湖岸での平均風速1.2m/s。何とかなるだろうとエリの外に出たところでセールを揚げました。しかし、沖の方はべた凪です。岸寄りには漣が見えるので、これを辿ってスタボータックで北上することにしました。程なくこの風もほとんど無くなってしまいました。
比良山に靄がたなびいて、それが動きません。湖岸の煙もまっすぐに上がって散らばりません。なんとなく今日は一日中この安定した無風状態の青空が続くような嫌な予感がします。そこでエンジンを掛け機帆走で沖島を目指すことにしました。
ワイフに舵を任せて、私は台風や雨で結構汚れているコクピットやデッキ周りを掃除することにしました。デッキブラシと雑巾で擦ると元の真っ白いデッキに戻ります。バケツの水を捨てる時、うっかりして雑巾替わりに使っていたタオルを水と一緒に捨ててしまいました。慌ててヨットを回して拾おうとしましたが、ほんの僅かの間なのに見失ってしまいました。白いタオルですから見失うことはないと思ったのですが、一瞬目を離すと付近に目印になる物が何もない水面ですから、どの辺りだったか全く分からなくなってしまいます。荒天時の落水の場合なども、一度見失ってしまうと再度見つけるのは難しいから落水直後に目印になるブイを落とすと言うのがよく分かります。
11時40分、観測塔と沖島の中間あたりでセールを降ろし食事にしました。バーナーでお湯を沸かして、とんこつラーメンとカップヌードルを作りました。弁当に詰めたご飯に暖かいインスタントラーメンだけですが水の上ではこれがとても美味しい。今日は風もほとんどないのに直射日光を浴びていても汗をかきません。爽やかな空気です。食事も美味しい、青空で空気は爽やか、これでもう少し風があってくれたら最高なのですが。
食事が終わって、12時20分から再び機帆走で風を求めて北へ向かってみることにしました。ワイフは寝袋を出して左舷デッキで横になって休憩。寝袋に入ったら暖かくて気持ちが良い等と言っています。風は東北東からわずかに空気の動きが感じられると言う程度で、見渡す限り皺一つ無いべた凪状態です。風は一向に吹いて来る気配がないので、今日は帆走を諦め予定を変更して、このまま機帆走で沖の白石まで行ってみることにしました。
13時35分、沖の白石周回。満タンで出発した燃料も3分の2ほど消費しました。予備タンクがあるので燃料の心配はありません。うまく行けばこのタンク分だけでぎりぎり帰れるかもしれません。
ポートタックのセールのトリムはクローズホールドで機帆走。見掛けの風はほぼ向かい風に近いのですが、スピードは10km/hから良くて11km/sくらいです。
コンパス240度のコースでまっすぐ志賀ヨットクラブを目指して帰ります。観測塔を左舷に通り過ぎてしばらくしたところでエンジン音が少し温和しくなりふらついてきました。しばらくしてエンスト。予備タンクに繋ぎ替えました。結局最後まで風は吹きませんでした。セールは降ろして後片付け。15時45分帰港。
和邇駅16時43分発の電車に乗り、帰宅したのは18時30分頃。
| 伊崎不動の「竿飛び」を見た |
1998年9月12日(土曜日)
天気は安定して全国的に晴れ。夏日が続いています。ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。
いつもと同じように7時52分塚口発の電車に乗って、尼崎で新快速に乗換え、京都で湖西線に乗換え、和邇駅着が9時15分。
電車の中から携帯電話で9時40分ころ到着する旨伝えおいたので、艇は丁度沖の桟橋に舫われるところでした。今日はレースがあるらしく、桟橋から慌ただしく出港してゆく艇がありました。琵琶湖大橋の方から20艇ほどの一団が機走で北へ上って来ます。この辺りでレースが行われるようです。私達はレースには興味がないし、またワイフの仕事のスケジュール的に日曜日に乗艇することが出来ないので殆ど参加するのは無理です。レース開催日は日曜日・祝祭日が殆どだと思っていましたが、土曜日にレースとは珍しい気がします。
今日はいつもより1時間遅くまで16時30分ころの帰港予定で沖島周回の計画です。
早速、セールを上げて出発。天気は晴れ。青空には刷毛で撫でたような秋らしい雲が出ています。風は弱く、湖面が鏡のように見えるところと漣が見えるところにきれいに分かれています。風が動く場所が良く分かります。そんな極弱い東北東の風がそれなりに安定して吹いているので、その風をキャッチしながらのセーリングはなかなか面白いです。
岸寄りに風が多少あるので、その風を追いかけてスタボータックで北上、近江舞子の湖岸が近づいたあたりで風がなくなりました。東側の沖合の湖面に風の波紋が広がっているので、タックして東を目指します。このタックでは丁度コクピットのポートサイドがセールの陰になって涼しいので、ワイフはそこで横になって昼寝。11時から12時の1時間お休みです。その間、私は何とか同じタックで風を探して捕まえながら艇を進めます。
12時、ワイフを起こして食事の支度を始めました。風は相変わらず微風なので、クローズホールドから僅かに下手に落として舵を固定し、あとは艇と風に任せます。バーナーを用意してお湯を沸かします。プリムスのガスカートリッジは高熱量なので短時間でお湯が沸きます。そのお湯でカップヌードルを作ります。その他には紅鮭の缶詰と弁当に詰めてきたご飯です。鮭缶をご飯に載せて丼のようにして食べます。鮭缶の薄めの塩味がご飯に混じって、まあヨットのデッキの上で食べるものとしては美味いです。2リットルの「おーいお茶」も、暑い艇の上では必需品です。
食事が終わったころ、弱かった風がすっかり弱くなってしまいました。波が無いので何とか進んでいますが、このままではとてものこと沖島までは行き着けません。
12時45分、船外機を下ろし機帆走で沖島を目指すことにしました。ポートタックのセールを一杯に詰めて機走すると、わずかにヒールして舵が固定出来ます。沖島の南端から反時計回りで沖島を周回することにしました。風は殆ど無いので、鏡のような湖面にBUDDYの航跡が残ります。
観測塔の西側では微風の中レース艇が団子になって苦労しているのが見えます。機帆走だと前からの見かけの風を受けて一気に涼しくなります。ワイフはバウに出てジブの陰に入り再び昼寝です。
沖島南端から沖島水道を機帆走で北上。北端をかわすところに来て、風が完全に無くなりました。セールを降ろしてオーニングを掛ける日陰を作ることにしました。日陰ができると格段に涼しくなります。
セーリングの楽しみがなくなったので、機走でさらに東に向かい伊崎不動の行場へ「伊崎の竿飛び」を見に行くことにしました。伊崎不動に近づくと、何人かが岸壁をよじ登っています。「竿」というのは四角な柱を横向きに岩場から湖に上に突き出したものですが、その上を歩いて渡って先端から飛び込む様子です。竿の下ではマリンジェットが2艇待機して飛び込みの様子を見ています。どうも仲間が度胸試しに飛び込み、それをマリンジェットで拾うという寸法のようです。
もうちょっと近くで見ようと竿の下を目指していたのですが、行き着かないうちに飛び込まれてしまいました。3人が先端から飛び込むというよりは、先端にぶら下がって落ちるように飛びこんでいました。数メートルの高さから飛び込めるくらいですから水深は十分だとは思いますが、念のためにデッドスローに落としてゆっくりと近づきます。以前テレビのニュースで見た時には、確か8メートルの柱を渡って飛び込むという風に言っていた記憶がありますが、飛び込むのが怖いというより、幅の狭い柱の上を先端まで渡るのが怖そうです。高さは湖側から岩場をよじ登っている人の背丈から見積もると6〜7メートルくらいありそうでした。
沖島北端のエリのを西にかわしたところで風をチェックすると風向は北で相変わらず弱いのですがジェネカーなら何とかなりそうです。そこで機走は中止。オーニングを始末して、ジェネカーの用意。14時、ポート側にジェネカーをセットして、シートを左右に振り分けてセット。タックを締めておいて一気にハリヤードを引いてジェネカーを揚げました。ジェネカーが風を孕んで微風の中で見違えるほど艇速が上がりました。
このまま、リーチングで観測塔を目標に走ることにします。
のんびりとジェネカーでのセーリングを続けていて、ふと右舷を見ると右舷前方10メートルほど離れたところ(後で考えるともうちょっと離れていたかもしれません)に大きな背鰭が揺れながらBUDDYと同じ方向にゆっくりと動いているのが見えました。とても大きな魚です。背鰭が水面上に高く見えるので鮫のように見えます。しかし、琵琶湖に鮫はいません。時々、尾鰭も水面に覗いて左右にゆっくりと揺れています。ワイフに大声で魚を見失わないよう確認させ、その間に私は大急ぎでジェネカーを下ろしました。メインセールだけでタックして、魚の方向へ向かいます。ゆっくりと風下側から近づきます。大きな鯉のようです。大きな鱗が金色に光っています。もう一度タックして魚の直ぐ横に近づこうとすると、魚もこちらに気が付いて驚いたのか、「バジャ」と大きな水音を立てて潜ってゆきました。その潜る動作がゆっくりに見えるほど大きいのです。そのまま潜って姿を消すのかと思っていたら、反対舷の方向に姿を現しました。1メートルは大幅に越していて少なくても1.3メートルはありそうです。背鰭から頭の先までがびっくりするくらい長く、胴回りは大人の胴くらいありそうです。もう一度艇を寄せて行くと、今度は深く潜って姿を消しました。こんなに近づいてしばらく艇の横を泳いでいるなんて、不思議な魚です。水温が上がり過ぎて、体調を崩しているのでしょうか、それとも穏やかな暖かい湖面で昼寝でもしていたのでしょうか。
その内に風が良くなるだろうと期待していたのですが、結局今日は全く吹いてきそうにありません。なんとか観測塔の東まで南下することができました。観測塔の南西方向では、まだレースが続いているようです。しかしここに来て風が全く落ちてしまい、暑いだけなので機走で帰ることにしました。レース艇の邪魔にならないように観測塔の北側を通過して湖岸に近づいてから南下するコースを取りました。
16時20分、ほぼ予定どおり志賀ヨットクラブに帰着。燃料がほぼエンプティ。次回には満タンにしてもらう必要があります。
和邇駅16時41分発の各駅停車に乗り、山科で快速に乗り換えそのまま尼崎まで。19時帰宅。
| 超微風、観測塔から僅かに長命寺に寄った辺りまでしか行けなかった |
1998年9月5日(土曜日)
今日もいつものとおりのワイフと二人で琵琶湖へ出かけました。JR塚口駅7時52分発、和邇駅9時15分着。
国道沿いの店で昼食の足しにカップヌードル、飲み物にポカリスエットを買って、志賀ヨットクラブへ。今日もヨットクラブは静かなもの。BUDDYは港内の桟橋に舫われていました。早速、飲料水をポリタンクに汲んで、出港の準備。
東の風、超微風。15時30分帰港予定で、とりあえず沖島方面を目指して出港。10時。波がほとんど無いので、この僅かな風でもセールのトリムを小忠実に行えばなんとか舵が効く程度には進んでくれます。風を拾いながらなんとか観測塔の近くまで来たところで11時30分。食事にすることにしました。
セールを降ろし、オーニングを掛けて日陰を作り、食事の支度。バーナーをセットしてお湯を沸かします。プリムスのガスカートリッジは熱量が大きいので、500mlの水が1分半くらいで沸くのでとても便利です。カップヌードルを作って食事。艇はゆっくりと南西に流されています。
風が少し出てきたので、再びセールを上げて走ることにしました。といってもこの風ではとても沖島には届かないので、帰りのコースで少しでも良い風が得られるようにと南寄りの長命寺へ向けました。13時30分に反転し、志賀ヨットクラブへの帰港コースを取りました。
15時20分帰港。
和邇駅前のスーパーで巻き寿司とアイスクリームを買って、列車の中で食べながら帰りました。
| 台風4号が接近中、艇の掃除と備品の整備に出かけた |
1998年8月29日(土曜日)
台風4号が近づいています。四国の南方沖で停滞していて、今後ゆっくりと東に進むのかあるいは北上するのか迷走しそうな気配です。週の初めの予報では、本日早朝に近畿直撃のコースの予想だったのですが。迷走のコースによっては今後影響が出る可能性もあります。
ワイフが夏バテ気味でもあるので今日はヨットは休みのつもりでしたが、台風はまだやって来ず曇り時々晴れの天気なので、二人で艇の整備と台風対策に出かけることにしました。
いつもより1時間ほど遅く家を出ました。11時過ぎに志賀ヨットハーバーに到着。全ての陸置き艇の船台が固定されバウとスターンの両舷に舫いロープが張られて既に台風対策は万全の様です。
艇に上がって、作業時の暑さ対策にと、ブームの上にオーニングをセットしました。日陰ができると涼しくて作業がほんとに楽になります。
今日の仕事は、予備の舫いロープやシートなどの端止めを行うこと、ハルの底をきれいにすること、購入した新品のブルースアンカーとチェーンを使えるようにすることです。ロープの作業とアンカーのセットは私が担当します。ワイフはハルの掃除に取りかかります。ハルの掃除のためにボートフックの先端部分をモップに取り換えました。このボートフックですが、先週フック部分が外れて湖に沈んでしまいましたが、モップやブラシの柄としては使ええます。肝心のボートフックとしては使えないので、新たにボートフックを購入する予定です。ワイフにバケツを渡して、艇の掃除が始まりました。
予備の舫いロープ3本とジェネカー用のシート2本は端止めがきちんとされていないので、小型のライター型のガスバーナーで繊維を溶かして固めました。
新しいアンカーとチェーンをそれぞれセットする大型のシャックルの組み合わせを検討しました。アンカーロープのアンカー側エンドはプラスチックのシーブで保護されているので、かなり大型のシャックルでないと入りません。ここはヤマハのダンフォースタイプの7キロのアンカーについていた10ミリの亜鉛メッキシャックルにしました。ダンフォースタイプへの付け替え用とその他の部分のシャックルは8ミリのステンレスシャックルを準備しました。これはちょっと高価でしたがぴったりでした。
14時半には作業を終了しました。
先週来た時に娘が食べたカレーライス代金を支払い忘れていましたが、それを精算して、15時にヨットクラブを後にしました。
| 家族4人で琵琶湖へ泳ぎに出かけた |
1998年8月15日(土曜日)
ワイフに娘と息子も一緒の4人で琵琶湖へ泳ぎに行くことになりました。BUDDYで沖に出て、艇は風に任せて流しながら水に入って遊ぶつもりです。
いつもと同じ電車で出かけました。盆休みなので、志賀ヨットクラブでは既に4艇が沖の桟橋に舫われています。これから出港する艇と、昨日か一昨日に出ていって今日帰ってきた艇もあるようです。
BUDDYは沖の桟橋の先端に舫われていました。食料用の清水をポリタンクに詰めて、ワイフとと娘の着替えを待って、機走で10時10分出港。
松ノ浦と近江舞子の中間辺りの沖合い目指します。曇り空で風はありません。風による波は無いのですが、湖岸近くにはモーターボートや水上バイクが走り回っているので、それらの艇が起こす複雑に交差した引き波があって、機走のヨットが不規則に大きく揺れます。娘は船酔いが酷いので、艇を止めて早く水に入りたがります。早速、フェンダーと舫いロープを水に入れて、それで一人ずつ交替で機走するヨットに引っ張られます。こうやって遊んでいると、船酔いも多少我慢できるようです。
11時20分から食事にししました。雨がぽつんと落ちてきたので、大急ぎでオーニングを掛けます。ほとんど気が付かない程度の雨ですぐに止んでしまいました。オーニングもほとんど濡れていません。早速バーナーをセットしてお湯を沸かし、カップヌードルを作りました。鮭缶とおつまみの裂きイカ、卵焼き等をおかずに握り飯の昼食です。
娘は、船酔いで気持ちが悪くて食事ができません。水の中に入って遊んでいる方が、揺れも少なく気が散って我慢できるというので、ライフジャケットを着て水に入ってバチャバチャやっています。でも、とても気分が悪そうなので、娘だけを早く陸に上げることにしました。志賀ヨットクラブなら食事もできます。
志賀ヨットクラブの桟橋に娘を残して、私達は再度沖へ出て、近くにあった樽型のブイに舫うことにしました。その時、運が悪いというか不注意だったのか、ボートフックの先端のフック部分が緩んでいて抜け落ち、あっという間に沈んでしまいました。大失敗。
気を取り直しそこに艇を止めて、周りで泳いだり艇から飛び込んだりして2時間ほど遊びました。
14時30分帰港。後始末をして、和邇駅15時29分発の電車で帰りました。
| 沖島往復、帰りはリーチングで快走 |
1998年8月8日(土曜日)
ワイフと二人で琵琶湖へ出かけました。志賀ヨットクラブへは昨日のうちに電話で出かけることを伝えておきました。
いつものとおり、JR塚口駅7時52分発の電車で、尼崎で新快速に乗換え、京都から湖西線の電車で和邇駅9時15分着。
志賀ヨットクラブの桟橋には、既に何艇か舫われています。大津で夜に花火大会があるのでそれを見物しに出かける艇が多いということでした。
今日は桟橋が混み合っているので、下架される途中で艇に乗り込み、桟橋に舫わずにそのまま出港しました。慌てて出港したものでポリタンクに昼食の料理用の水を積みこむのを忘れてしまいました。今日は温かい食べ物は無し。
今日の計画は沖島往復です。
北東からそこそこの風が吹いているので、まず細かくタックしながら北に上ってゆきます。11時半ごろ近江舞子のかなり沖合いまできたころに風が弱くなってきたので、セールを降ろしオーニングで日陰を作り食事にしました。朝、国道沿いの店で買ってきた鮭缶の中身を持参した弁当のご飯に丸ごとぶっかけて食べるのです。鮭缶は大ぶりの鮭のぶつ切りを薄塩で水煮にしたもので柔らかくとても美味しかった。
食事が終わったところで、少し休んでから水に入った。バウから飛び込んだり、舫いロープにフェンダーを結びそれにつかまって機走で引っ張られて遊んだりしました。
風が出てきたので、再びセーリング。北東の風が良くなってきたので、クローズリーチで一気に沖島の北に近づいてきました。白波が増えてきたのでリーフします。リーフするとヒールが減って安定して走ります。13時30分になったので、反転して帰ることにします。沖島の北から観測塔付近までのリーチングは快適でした。
観測塔を過ぎると、少し風が弱くなりましたがそれでも安定して吹いているのでセーリングで帰港できます。志賀ヨットクラブ沖のエリの近くでセールを降ろしデッキ周りの片づけを完了、15時10分帰港。
上架を任せて、直ぐにシャワーを浴び、15時40分にクラブを後にしました。
とてもお腹が減っていたので和邇駅前のスーパーで大慌てで食べ物を買って、16時5分の電車に飛び乗りました。車内で巻き寿司を食べようと思っていたのですが、なぜか電車が混んでいて食べられなかったので、山科の駅で降りてホームのベンチ食べました。
山科から新快速に乗って帰りました。
| スローで機走するヨットに引かれて水遊び |
1998年8月1日(土曜日)
梅雨明けのからりと晴れた天気がなかなかやってきません。週末から良くなりそうな天気予報なので琵琶湖へ出かけることにしました。志賀ヨットクラブへは、昨日電話で出かけることと燃料を満タンにして欲しいと頼んでおきました。
いつものとおりJR塚口駅7時52分発の電車で、尼崎で新快速乗換え、京都で湖西線に乗換えて、和邇駅9時15分着。
風は弱くて、非常に蒸し暑い。今日は昼食の用意が十分でないので、途中の国道沿いの酒屋さんでつまみとカップヌードルを買った。今日は先日購入したイワタニ・プリムスのガス・バーナーと鍋(山用のアルミコッヘル)を初めて使ってみる積もりです。
志賀ヨットクラブに着くと、既に4艇が湖の桟橋に舫われていて、大型艇はいかにもビジター風な人達を10名ほども乗せて出港するところでした。
早速飲料水を大型ポリタンクに積めて、10時出発。風は全くありません。靄で沖島が殆ど見えません。今日は水着を持ってきたので、北の水の綺麗なところで泳ぐことにしました。機走でまっすぐ近江舞子方面を目指します。機走していると見掛けの風を受けるので涼しいのですが、機走では何もすることがないので手持ちぶさたです。その間艇の掃除をすることにしました。しばらく本格的な掃除をしなかったので、あちこち汚れが目立ちます。デッキ周りの拭き掃除を中心にコクピットの中は水を流して埃を洗い流しました。
近江舞子の沖合いで止めて、ブームの上にオーニングを張りました。早速水着に着替えて水に入ります。水温がかなり上がっていて、表層の10cm位が生暖かくて気持ちが悪い。水面から見るとハルのウオーターラインの汚れが目立ちます。そこで、舫いロープを前後にハルの両サイドの張って、それを手がかりに体を支え水中でハルを洗うことにしました。両サイドをすっかり洗うのはちょっと大変でしたが、すっかり綺麗になりました。
11時30分から食事にしました。ガス・バーナーを準備して大コッヘルでお湯を沸かします。新しいバーナーの火力は凄いです。ガスカートリッジは熱量が大きくて、1リットルの水が2分もかからずに沸騰しました。これなら冬場でもすぐにお湯が沸かせます。水に入ってちょっと冷えた体にカップヌードルの暖かいスープがとても美味しい。食事を始めたころから、北東方向の風が吹き始めました。艇は徐々に近江舞子水泳場の浜のほうに流されています。食事が終わったところでエンジンを掛けて少し沖合いに艇を移動させました。
そのうちに徐々に風が安定して吹くようになってきたので、帆走することにしました。沖島の南を目指します。北東の風を受けて艇はリーチングでまっすぐ快調に進みます。トリムが非常に安定しているので舵を放してショックコードで止めたままでもまっすぐ進みます。その間、ワイフは昼寝。沖島の南で島陰に入り風が落ちたので、タック。今度は観測塔を目指します。観測塔が近づいたところで、風が落ちてきました。
風が弱くなると暑くてたまらないので、もう一度水に入ることにしました。セールを降ろし、船外機もチルトダウン。風は弱いようでも艇はそれなりの風圧を受けて流されているので、下手に艇を離れると泳いで追いつくのはなかなか大変です。そこで、クリートした舫いロープにフェンダーを結びつけてスターンから流しておいて、水面で休んでいる間はこのフェンダーを掴んで休むことにしました。ここでちょっと閃きました。そのままフェンダーにつかまって機走して引っ張ってみたら面白いだろうと。早速ワイフを引っ張ってみました。スローで引っ張ると大喜びです。これは面白そうです。スピードを少し上げると体にかかる水の抵抗が一気に強くなります。顔の前に波が出来てこの波をもろに被るようになり面白いどころではありません。スローから僅かずつスピードを上げて、程良いところで引っ張られるとなかなか快適です。体を適度に捻って足先をコントロールすると、引かれて進む方向を少しだけ左右に向けることが出来てゆっくりと蛇行も出来ます。
途中で、何度も交代してトライしました。そして、この遊びをする時にはライフジャケットを着けていると上体が水面にかなり出るのでスピードをもっと上げて楽しめると言うことが分かりました。今日の収穫は、この面白い遊びでした。
遊んでいる内に時間が来たので後片付けをしながら機走で帰ることになりました。志賀ヨットクラブの沖合い近くまできたところで、蓬莱山の上から南の方にかけて大きな真っ黒の雲が覆いそれがどんどん北側にも広がって夕立がやってくる様子が見えます。蓬莱山の南には雨脚もっみえています。今にも降ってきそうなので、水着の上にウィンドブレーカーを着て、靴も荷物もすべてキャビンに投げ込みコンパニオンウエイのハッチを閉めました。すぐに大粒の雨が湖面をたたきはじめました。大慌てで志賀ヨットクラブへ入港。15時10分着桟。夕立は、急速に南に去って、本降りには合わずに済んだようです。
スタッフが上架作業をしている間に、クラブハウスでシャワーを浴びました。雨はすっかり上がって蒸し暑さだけが残っていますが、艇の片付けに行きました。燃料タンクをキャビン内に仕舞い、キャビン内の濡れたところデッキの汚れたところを雑巾で拭き掃除。舫いロープとフェンダーを、次の乗艇の準備に左舷に付け直し。
燃料代を支払って15時50分にクラブを後にしました。
今日もしっかり遊んだのでお腹が減っています。和邇駅前のスーパーで巻き寿司とアイスクリームを買いました。アイスクリームは電車待ちの駅のホームで食べ、巻き寿司は新快速の中で食べました。お行儀が良いとは言えませんが、背に腹はかえられません。お腹が満足すると心地良い疲れで眠くなります。電車にゆられて二人とも居眠りしながら帰りました。乗換駅、下車駅が近くなって確実に目を覚ますのは私です。ワイフは起こされなければ眠ったまま。今日、ワイフは、行きの電車の中、ヨットの上、帰りの電車の中で合計3時間以上眠っています。
18時30分頃に帰宅しました。
| 長命寺沖往復、1ポイントリーフで快走 |
1998年7月25日(土曜日)
天気が悪かったり、ワイフと休みが合わなかったりで暫くご無沙汰している琵琶湖へ出かけることになりました。前回出かけたのが7月4日ですから、3週間ぶりです。
天気予報では滋賀県南部は「曇り、午後ところにより一時雨」ということですが、出かけることにしました。いつもの通りの電車で出かけます。夏休みに入っているのに電車は込んでいません。湖西線も意外と空いています。
志賀ヨットクラブに着いてみると、こちらもいつものとおり閑散として駐車場にもほとんど車がありません。
艇はすでに下ろされてハーバー内の桟橋に舫われていました。ワイフが着替えている間に、燃料タンクをセットしてエンジンを始動し、アイドリング。
もう1艇を降ろす作業が始まりました。ハーバーマスターの藪さんが沖の桟橋まで出すようです。BUDDYの直ぐ横を通って掘割を抜ける時に「ハーバー外の風に合わせて風下側に余裕を持って操船するように」と指導している声が聞こえました。
湖岸の風は東南東で、比良の山並みの影響を受けない沖合いでは南からの風で白波が北に向けて走っているように見えます。今日の帆走計画は、長命寺を目指し15時の帰港予定です。9時50分出港。エリの外に出て、セールを揚げます。今日は一日中この風が続くとのことなので、1ポイントリーフにしました。暫くは東へ向けてクローズホールドでの真上りが続きますが、リーフしているので安定して面白いように走ります。10時30分頃には南東の風は更に少し強まり、1ポイントリーフでぎりぎりですがこれに堪えて快走が続きます。思わず顔が綻ぶような快感です。11時頃からその風も徐々に弱まってきて、11時半頃には白波もほとんど見えなくなりました。暫くして長命寺港の南の湖岸近くまでやって来ました。
ここで昼食することにして、セールを下ろしてブームの上にオーニングを張りました。今日はオーニング用のアルミ製の折り畳みポールを持ってきたので、それを伸ばしてブームの上に交差して張り渡して見たところぴったりと誂えたように具合が良い。
食事後、ワイフは昼寝。さすがに今日は風があって波が大きいので泳ぐ気にはなれません。オーニングが風を受けて推進力があるので舵がしっかり効きます。沖島の西側に出るように舵を固定してゆっくり休憩。雲はあるものの晴れ間が多いのでオーニング無しでは暑くてゆっくり休憩も出来ません。オーニングの下では、風が通って涼しくて快適です。
12時20分、再び風が強くなって白波が見えてきました。ワイフを起こしてセーリングの準備に掛かります。オーニングを片付け、メインセールを揚げようとしました。風の弱い時なら、何となく風に向けて艇を回しておいて、ひょいとメインセールを揚げてしまえるので、それを試してみました。が、そう言う手抜きは通用しませんでした。強い風なので前進力が無ければ艇を風に向けることができません。船外機を降ろしてエンジンを掛けました。スローで風に立てましたが、かなり強い風なので、風位にまっすぐ立てないとレイジージャックの間をバテンがスムーズに通ってくれません。2回ほどバテンがレイジージャックのロープに引っかかり、その度にやり直してやっと揚げることが出来ました。
しばらくは1ポイントリーフのメインだけで走っていましたが、風が少し弱まるとやっぱり物足りないのでジブを揚げることにしました。風が強いのにも関わらず僅かにラフしただけで揚げようとしましたが、ジブが風を受けて重くてハリヤードを引ききれませんでした。風位に立ててやり直しました。やはり基本に忠実でないと駄目だと反省。風の強い時のセールの揚げ降ろしは、中途半端な操作は駄目、思い切って素早く力強くが肝心。
この後は快適なセーリング。観測塔を目指してブロードリーチで一気に走り、その後は琵琶湖大橋を目指してアビームリーチ、引き返してはクローズリーチでの走りを楽しみました。14時30分頃、和邇漁港の沖合いでセールの後片付けをして、15時、志賀ヨットクラブに帰港しました。
燃料タンクが殆ど空なので、次回には補給が必要。
和邇駅16時5分発の電車で帰りました。
| 沖島往復、帰港直後に土砂降りの夕立 |
1998年7月4日(土曜日)
梅雨明け宣言は未だなのですが真夏日が続いています。昨日、志賀ヨットクラブへは電話で出かける旨伝えておきました。いつものとおり電車で出かけます。夏休み前だからでしょうか電車も空いています。
9時35分、志賀ヨットクラブに到着。
艇は既に港内の桟橋に降ろしてありました。何時ものとおりの出港前の作業、飲料水の積み込み、燃料タンクをセットして、エンジン始動、アイドリング。艤装品のチェック等々。今日の帆走計画は沖島方面往復、15時30分帰港予定を告げて、9時50分に出港。
エリの外に出たところで、セールを揚げました。南東の風が安定して吹いて快適なセーリングになりそうです。まずは東北東へ向けてクローズリーチで出発。11時ごろ、沖島までの3分の2の距離まできた辺りで、ぽつぽつと白波が見え始めました。早めに1ポイントリーフ。リーフすると艇は安定して走るようになります。するとワイフはセールの陰で昼寝。
11時40分ごろ、沖島南端までもう少しと言う辺りで一気に風が落ちたのでセールを降ろして昼食にしました。昼食の後は、艇を流したままブームの上にオーニングを掛けてデッキ上に日陰を作り、水に入って遊ぶことにしました。13時半まで水遊びした後、艇を志賀ヨットクラブへ向けて帰ることにしました。
弱い南風を受けてリーチングで志賀ヨットクラブを目指します。北湖の中央部と比良の上に大きな積乱雲が湧き上がってきました。この積乱雲の端に掛かりそうです。14時30分、大急ぎでセールを片付け機走で志賀ヨットクラブを目指します。上空が真っ黒になってきました。志賀ヨットクラブを目前にしたところで、積乱雲特有の吹き降ろすような風が周囲にやって来ました。
15時15分、大急ぎで艇を桟橋に着けると、ハーバーマスターの藪さんが直ぐにも夕立になりそうだからハッチとコンパニオンウエイを閉めて、大急ぎでクラブハウスに入ったほうが良いとのこと。
上架の作業を依頼して、そのままシャワールームへ直行。シャワーを浴び始めたところで、外はバケツをひっくり返したような大降りになりました。雨は20分で上がりました。
上架を待たずにクラブを後にし、和邇駅16時29分発の電車で帰りました。
| 沖島往復、午後は1ポイントリーフで快走 |
1998年6月6日(土曜日)
昨日までは、梅雨空だったのですが、天気予報どおり良い天気になりました。何時ものとおりワイフと二人で琵琶湖へ出かけることにしました。先先週の土曜日に出かけた時に、波刃のナイフで切った左手中指の第二関節の切傷は塞がりました。ただ、この指を伸ばす時、曲げる時に引っかかりがあり関節に鈍い痛みも感じます。ひょっとして腱にも傷があったのかもしれません。少し関節が脹れているようにも見えます。外科で見て貰った方が良さそうです。
和邇駅に着いたところで志賀ヨットクラブに電話。スタッフの藪さんが受けてくれて、すぐに艇を降ろしておくとのことでした。
港内の桟橋でエンジン始動。一発で掛かりました。ジブもセットし、ブームカバーも取り、いつでもセーリングできる準備を整えました。今日の予定は沖島往復、15時30分帰港予定。9時50分に出港しました。
エリの外に出たところでセールを揚げました。弱い東の風ですが沖合を見ると徐々に良くなってくる気配があります。スタボータックで北東を目指してセーリングを開始しました。しばらくは弱い風でしたが、すぐに風が出てきて艇が走り始めました。北北東方向に湖岸寄りを進みます。時々風が弱くなり風向が定まらなくなりますが、暫くするとすぐに風の範囲が見えてくます。こんな繰り返しで、11時ころには近江舞子沖に近づいていました。そこで風が無くなたので、セールを降ろして昼食にしました。日差しが強くて暑いので、オーニングをブームの上に渡して日陰を作ります。このオーニングは山用のウェッジ型テントのオーニングなのですが、この艇のブームの上に張ると誂えたようにぴったいと収まります。日陰で涼しくゆっくりと昼食を摂りました。
12時過ぎには、再び風が良くなってきたのでセールを揚げました。最初は東からの風だったのですが、北から湖面を黒くして風の先端が迫って来た時には、北〜北西寄りの風に変わっていました。ポートタックのクローズホールドに変えてバウを北東に向けました。風は急に強まって、白波となり波も大きくなってきました。ヒールが大きくなり、ウエザーヘルムも強まりました。この時は何故か風と波の方向が一致しません。風は北からですが波は艇の進む方向の北東からやって来ました。艇の後ろよりに2人が乗っているとバウが波を激しく叩き急に減速します。1人がコクピットの前よりに移動するだけで、バウが波を叩くのがずっと減り、スムーズに帆走するようになりました。BUDDYのような20Feetほどの軽量の艇では、乗員の位置も艇速に大きく影響することを実感。セールのトリムを含む力仕事のデッキ作業は私の役なので、ほとんどの時間ワイフがヘルムを取っていました。
風が徐々に強さを増すので、1ポイントリーフすることになりました。ワイフが艇を風に立てメインハリヤードを緩め、私が一気にセールのラフ側を1ポイントリーフの位置にまで引き下げ、クリューのリーフロープを引いて止めます。リーフ作業はかなり手早く出きるようになりました。
天気は、時々大きな雲に日が遮られることはあっても大体が晴れに近い状態で、この時期にしては空気が比較的乾燥しているので涼しくて快適です。今日はショートパンツと半そでシャツ1枚の姿ですが、翳った時に風に吹かれていると肌寒いので、上に薄手のウィンドブレーカーを羽織っています。
風がなお強まってきましたが、1ポイントリーフなのでまだ安心してスピードを楽しむことが出来ます。少し落し気味にして一気にスピードを上げリーチングを楽しみます。
13時、帰りの時間のことを考えて反転。ヘルムは私に替わりました。今度はスタボータックのアビームからブロード・リーチでヒールもほとんど無く、ますますスピードに乗ります。時々風が強まるとウエザーヘルムが強まってそれと分かります。その度に少し落し気味にしてスピードを上げます。ワイフは30分ほど横になって昼寝。
14時ころには観測塔あたりまで戻ってきたので、この辺りで少しタッキングの練習を兼ねて遊んでみることにしました。暫く遊んでいると風が弱くなってきたので、1ポイントリーフを解いてフルセールに戻し、アビームで志賀ヨットクラブへ向います。
志賀ヨットクラブの沖でセールを下ろし、15時15分帰港。
和邇駅16時43分発の電車で帰りました。
| 白髭沖往復、波刃ナイフで左手中指第2関節の腹を切り裂いてしまった |
1998年5月23日(土曜日)
5月24日(日曜日)は「アサヒ・スーパードライ・カップ」に参加の艇で混み合うので、前日のセーリングも控えてくれるようにとの案内状が届いていたので、木曜日に電話で状況を問い合わせてみたところ、ハーバーマスターの藪さんの答えは「意外に参加艇が少なく、土曜日はいつものとおりなので、いらしゃい」とのこと。そこでワイフと二人で出かけることにしました。
天気も良く暑くなりそうです。高気圧の後半にかかっていますが1日持つという天気予報です。先日購入したアンカー用のチェーンとミニサイズの波刃ナイフ、艇内に置く清水用の大型ポリタンクも一緒にカートに積んで運びます。
いつものとおり、JR塚口駅7時52分発の電車で出発し、志賀ヨットクラブには9時35分着。
志賀ヨットクラブに着くと、既にBUDDYは港内の桟橋に舫ってありました。堀割のゲートは閉まっていて他の艇は出港する様子がありません。
前回から、燃料タンクをプラスチックの折り畳みボックスに入れて艇内に仕舞うことにしたので、そのボックスのままスターンに持ち出してホースを接続しました。燃料タンクを直にスターンに置くより、この方が収まりが良いようです。エンジンは軽く一発で起動。アイドリングしている間に出港の準備を進めます。
今日の計画は、白髭沖往復、15時30分帰港予定。9時50分に出港しました。
風は微かにあるという程度、波は無し。エリの外まで機走し、そこでエンジンを停止しセールの準備にかかります。今日はまず昨年末に追加した2ポイントリーフをテストします。BUDDYのメインセールの従来のリーフ方式は1ラインでのスラブリーフ方式でした。これをタックとクリューを別ラインでコントロールする方式に変更しました。1ラインでの操作は頭で考えると操作が単純で楽なように思えますが、実際にリーフが必要になった状況でやってみるとロープの屈曲部が多いために摩擦抵抗が大きくて簡単には引き締めることが出来ませんし、タックとクリューの引き加減をそれぞれにコントロールすることも出来ません。タックとクリューを別のリーフロープで締める方式だと、確かに手間は倍になりますが、ロープを引く際の抵抗は半減しますし締め加減も個別に調整が可能です。特にクリューの引き加減をコントロール出来るのはセールのトリムに役立ちます。そして、リーフロープのクリートの仕方も従来のブームのグースネック側に切り込まれていたクラムクリートは使用せず、マストとブームに新たに取り付けた普通型のクリートに止めるように変更しました。クラムクリートではセールがシバーした時に外れたりしたことがあったからです。
まず、この新しい方式の2ポイントリーフをやってみました。タックのリーフロープを一杯に引いてマスト下部にクリートします。その状態でハリヤードを引いてメインセールを揚げます。これでラフが決まります。ブームに沿わせてグースネック近くまで導いてあるクリュー用のリーフロープを一杯に引くと、小さくなったメインが綺麗に展開しました。セールのカーブもきちんとしていて弱い風ながら一応艇が走り始めました。直ぐにジブを上げて、暫くこの2ポイントリーフのメインで走ってみました。次に2ポイントリーフを解いてフルメインに戻す作業をやってみました。この時、2ポイント用のリーフロープを積極的に緩めておかないと、メインハリヤードを引くだけでは重くて揚がらないことが分かりました。風が強い中で、2ポイントを1ポイントにあるいはフルメインに戻そうとする時には、リーフロープを予め手で緩めておくことが必要だということです。
風は岸寄りでは東だったのですが、沖合いに出るにつれ北に振れて行きました。波が無い湖面で程良い微風があるので、艇は安定したクローズホールドで白髭方向を目指して走り出しました。
タックの2ポイントリーフロープは丁度良い長さだったのですが、クリューの2ポイントリーフロープは相当長さが余ったので捌きを良くするためにカットすることにしました。早速、買ったばかりの新しいミニサイズ波刃ナイフでカットしました。ロープなどの切断には波刃が最適だという評判のとおり、力も入れずに軽く一引きしただけでセロテープで仮止めした6mmロープが殆ど切れていました。左手で持ったままでもう一引きしたところ、スパッと切れたナイフの刃がその下の左手中指の第2関節の屈曲部の皺になっている辺りを切り裂いてしまいました。痛みを感じないほどきれいに切り裂いていました。切り口から血が盛り上がってきます。指を握って指の腹同士で切り口を押さえるようにしましたが、薬指側の切り口から血が滴り落ちてきます。左手を握り締めるようにして止血しながら、まず私が右手でヘルムを取り、ワイフの両手を自由にしてワイフに応急手当てをして貰うことにしました。
たまたま、救急用品として傷ドライと滅菌ガーゼを持って来ていました。道具袋にミニサイズの道具セットがありその中に鋏もありました。中指をくの字に曲げた状態で指の腹をくっつけて傷口を押さえるようにすることで血が吹き出すのは止められたようです。バンソウコウ付きの滅菌ガーゼを適当な大きさに切り、くの字に曲げた中指と隣の指も一緒に二重三重に巻いて止血することができました。うっすらと滲んできましたがそれ以上の出血はありません。暫くするとずきずきしてきましたが痛みも思ったほどではありません。一安心です。
直接手の上で物を切るなんて、大チョンボでした。
左手は、人差し指と中指と薬指の三本を握って一纏めに絆創膏で括った状態ですが、親指とその一纏めの三本でロープを握ったり、ティラーを握ったりは出来ます。痛みも軽いので、そのままセーリングを続けることにしました。
風は北から西に振れてきましたが、まあまあのスピードで走れています。11時30分ころ、観測塔を少し過ぎた辺りで風が落ちてきたので、ジブを下ろしメインセールだけにして、昼食を摂ることになりました。指の怪我さえなければ、バーナーでお湯を沸かしカップヌードルを作るところですが今日はこれは中止。
12時を過ぎて食事が終わるころには、風がすっかり無くなって暑いこと。多分、天気予報どおり気温は30度近いと思います。しばらく帆走しようと努力しましたが、風がどこから吹いているのかわからないほどに弱くなってしまったので、機走に切り替えました。しばらく北に走ってみましたが、風は吹きそうにありません。セールを降ろしました。
近江舞子の沖合いまでやってきました。機走の序でに近江舞子の漁港に入れるかどうか確認しに行ってみることにしました。南から琵琶湖汽船のビアンカが来るのが見えます。近江舞子の桟橋に着く定期船です。かなり遠いのでこちらが先に着けるだろうとの目算で艇を西に向けて走らせました。ところがビアンカはさすがに速くて、見る見る近づいてきます。その上思っていたよりもずっと岸寄りを回ってくるので、こちらが前方を横切るかたちになります。定期船は自分の航路筋を変えるのを嫌がるものです。ここは無理をせず右に舵を切り反転して東に遠ざかる進路を取りビアンカを先に行かせることにしました。
漁港の入口の水路には、バス狙いのアングラーが何人もいてルアーを投げていますが、ここに入れば入口の水路両岸と奥の港には十分接岸する余裕があります。緊急時の避難、あるいは停泊には使えそうです。
13時を過ぎたので、今日は早めに機走で帰ることになりました。途中でワイフがコクピットとスターン周りを中心に水を流してきれいに掃除しました。
予定より1時間ほど早めの入港でしたが、スタッフが直ぐにBUDDYを見つけてゲートを開けてくれました。14時40分帰港。
和邇駅16時5分発の列車で帰りました。
| 艇の整備、2ポイントリーフ用ロープをセット |
1998年5月4日(月曜日、国民の休日)
艇の整備のため、一人で志賀ヨットクラブへ出かけることにしました。先日、近所の安売り店で購入したプラスチックの折畳みボックス、ワイヤーカッター等も持参します。
10時に出発、昼前に志賀ヨットクラブ着。さすがにゴールデンウィークの最中ですからいつもと比べると多くの艇が次々出たり入ったりしています。
今日の主な作業は、2ポイントリーフを従来の1ラインでのスラブリーフ方式から2ラインでのリーフ方式に変更することです。この作業に必要なロープ(6mmØロープ32m)とカムクリート付ブロック等は既に購入してあります。
まず、6mmØロープをタック用10mとクリュー用20mと2mに切断し、端をバーナーで焼いて始末しました。
まず、ブーム下のメインシート用のアイと1ポイントリーフ用ロープが固定されているアイの間に2mロープを張って、その中間に出した耳にクリュー用リーフロープ(20m)の一端を結びます。このロープを2ポイントのクリュークリングルを通し、ブームエンドに組み込まれているの既存のブロック(3個の内の1個)を経て、ブーム下をグーズネック手前のアイに取り付けたカムクリート付きブロックまで導きます。これを引いてカムクリートに止めれば2ポイントリーフのクリュー側が決まります。
タック側は10mロープの端をマスト下のアイに結び、2ポイント用のタック側クリングルを通してマスト下部の小クリートに導きます。このロープを一杯に引き込んでクリートすれば、タック側の2ポイントリーフが決まります。それぞれ、長さには余裕を見込んで現在はかなり長目になっています。今後実際に運用しながらリードの仕方と長さを調整することにします。15時30分までかかって出来上がりました。
その後キャビン内の整理をして、16時に志賀ヨットクラブを後にしました。
| 舵社のカタログ通販でオーダー |
1998年5月1日(金曜日)
舵社のカタログ通販でヨットの備品を注文しました。電話で在庫を確認してから、FAXでオーダーするので確実です。
アンカーチェーン、8mmショート、5m
ステンレスシャックル、8mm、2個
セールファスナー、4mm×50cm、3本
ミニサイズ波刃ナイフ、1個
ワイヤーカッター、1個
など。
| 沖島往復、午後ジェネカーで帆走中にワイルドジャイブ |
1998年4月29日(水曜日、みどりの日)
日曜日から夏のような暑い日が続いています。ワイフが急に休みを取れるようになったので二人でセーリングに出かけることにしました。先日購入したイワタニ・プリムスのガスバーナーをキャリーに括り付けて運ぶことにしました。
いつもの電車でいつもの時間に和邇駅に着いてから、ハーバーマスターの藪さんに「後15分で着きます」と携帯電話を入れました。
今日の予定は、沖島方面往復、15時30分帰港。9時50分出港。風は北東微風、波はほとんどありません。エリの外に出てポートタックのクローズホールドで東へ向かいます。波が無いので艇は静かに滑らかに進みます。艇速は5.5km/h前後。
11時5分、観測塔を左に見て通過。このままのコースで、沖島南端に近付けそうです。
11時10分、志賀ヨットクラブで見かける30feet艇とミート。コクピットには人影が見えずバウのパルピットに腰掛けている男の人がこちらに手を振ってくれたので挨拶を返しました。きっとオートパイロット装備なのでしょう。
11時30分、ワイフはシュラフを出してコクピットで横になり昼寝。風が徐々に弱くなってきて艇速は4.5km/h前後。11時45分、先ほど出合った艇はジブを降ろして機帆走に移ったようです。12時、沖島南端にかなり近づきました。風は弱まってしまったので、ここで昼食にしました。プリムスのガスバーナーは持ってきたのに、清水を汲んでくるのを忘れていたので今日は使えません。
12時30分に昼食を終えて、沖島南西端までもう少しというところでタックして北に向かいました。風の強さも微風からほぼ無風と小刻みに変化するのですが、風向も大きく振れ回っています。12時50分、風は西。12時55分、風がまた北北西に変わって微風。13時30分、帰港時間のことを考えて志賀ヨットクラブへ艇を向けます。スタボータックのリーチング。13時45分、ジェネカーを揚げました。微風ですがジェネカーでのフリーの走りは速くなって7.0km/h位です。
14時、湖岸に近づきすぎると風が変わるので早めにジャイブ、北北西の風にポートタックでコンパス200度のコース。風は弱くなってブロードリーチでは風向が見極めきれません。風の強さの変化と艇速の変化で見掛けの風が前に行ったり横に戻ったりします。14時15分頃、私がヘルムを取ってワイフが写真を撮ったりしている最中に、風への注意が疎かになっていました。それまでの北寄りの風が弱くなり大ききく東に変わったので、その風に合わせようとティラー操作している時に再び風が大きく北に戻りさらに西に回ってしまい完全に裏風が入りあっというまにワイルドジャイブしてしまいました。風が弱かったので艇のコントロールを失うことはなかったのですが、ジェネカーがフォアステイに絡んでしまいました。大慌ててジェネカーのハリヤードとタックロープのクリートをはずしシートを引いてコクピットへジェネカーを取り込みました。すぐにジブを揚げて、今度は東になった風に合わせてコース230度でポートタックのリーチングとし安定した走りになってからワイフににティラーを任せてジェネカーを始末しました。
ワイルドジャイブの原因になった風の振れは急速に収まり東の風で安定し徐々に強まってくるようです。リーチングで艇速が8.0km/s前後になっています。
このままフリーで走りながら15時10分ごろまでセーリング。セールを降ろし機走に変更しセールやデッキの後片付けをしながら志賀ヨットクラブを目指します。15時30分帰港。
16時10分、志賀ヨットクラブを後にし湖岸の旧道を和邇駅までブラブラ歩きます。お腹がしっかり減っているので、駅前のスーパーで巻き寿しを買い電車の中で美味しく頂きました。
18時20分帰宅。
| 沖島周回 |
1998年4月26日(日曜日)
昨日午後から天気が回復して、今日はかなり爽やかな晴れになりそうです。ワイフと二人で志賀ヨットクラブ出かけました。
先日購入したイワタニ・プリムスのガスバーナー、ハンドベアリングコンパス、ブルースアンカー、アンカーチェーン、アンカーラインなどを志賀ヨットクラブへ運ばなければなりません。今日は,バーナー以外の全てをキャリーで運ぶことにしました。日曜日なので、朝の電車が空いていますからキャリーを持ち込んでも多分問題はないでしょう。
いつものとおりの電車で尼崎で新快速に乗換え、京都で湖西線に乗換え、和邇駅に9時15分着。予想どおり電車は空いていて大荷物のキャリーを持ち込んでも楽に運べました。
京都までは、快晴あるいは晴れ。琵琶湖の上空はところどころに大きな雲が見えるが、比良の山並も沖島もきれいに見渡せます。湖岸では弱い南東の風があります。沖合い東の方では北寄りの風でぽつりぽつりと白波が立っているように見えます。
9時35分、志賀ヨットクラブに着きましたが、人影がありません。BUDDYの下架作業が始まったところでした。着替えをして、キャリーで運んできた荷物を艇に積み込ました。燃料タンクをセッ、エンジンを掛けてアイドリング。その間にジブをセット。
今日の目的地は沖島、最終帰港時刻は15時30分の予定で、9時50分に出港。
エリの外まで機走したところでセールを揚げました。エリの外は、風は弱いのに波が大きく複雑です。南寄りの風による比較的大きな波があったところに、東の風に変わり波が複雑になっているような感じです。風は沖に向かうにしたがって東から北へと回ってゆく感じです。
艇を北東に向け、ポートタックでセールを揚げてコースを北北東に向けました。大きな波がバウに当り時々スプレーが顔に飛んできます。風は徐々に強さを増して、打見山の北のコルを越えて吹き降ろしてくる風の通り道にあたる志賀の沖には湖岸に白波が見えます。この状態が続くとヒールを起こすのが大変なので、リーフすることにしました。1ポイントリーフは以前は1ラインで引くスラブリーフ方式だったのですが、現在はタックとクリューを別々の2本のリーフラインで引く方式に変えています。マスト下で、ハリヤードを緩めタックのリーフラインでメインセールを引き降ろしてマスト基部のクリートに止めます。直ぐにグースネックまでリードしてあるクリューのリーフロープを引いてグーズネックのクラムクリートに止めます。このクラムクリートはタックの途中などでセールがシバーした時に外れることがあるので、リーフロープの端をブームに沿わせてエンド側に引いてブームサイドの小クリートに仮止めしておきます。このあたりにもう一工夫必要です。
風は北で、結構強くなってきました。波頭の一部がちょっとだけ崩れる白波から、波頭が長く崩れて白くなる白波に変わりました。波高もかなり高くなってきました。大きな波が二つ続くとパンチングでスピードをロスするので波を乗り越す時のバウと波の合わせ方が微妙です。
11時を少し過ぎたころには、近江舞子の沖を過ぎて順調に船足を伸ばしています。風は強いのですが、1ポイントリーフで面白いように走っています。この間殆どの時間をワイフがヘルムを取っています。ヒールが強くなった時も、ティラーを僅かに引き気味にコースを維持して我慢していると艇速が上がり、ヒールも起きてきます。ティラーを握る手と腕に余分な力を入れずに柔らかくコントロールすると、艇が素直にコースを維持して行きます。この感じがワイフにも分かってきたようです。強風のクローズホールドでは何とか舵を任せられるようになってきました。ランニングでは未だですけれど。
11時30分ごろ、沖島の北端の西2〜3km辺りにいます。ここでジブを降ろし1ポイントリーフのメインだけにし、ティラーをショックコードで固定して、ポートタックで北東方向に風任せで走らせながら食事をすることにしました。艇が自然にコースを維持しながらうまく大きな波を乗り切って進んでいるので、ゆっくりと食事ができました。ヒールも安定して落ち着いています。風は強くて周囲に沢山の白波が見えます。ワイフはGillのカッパのジャケットを着ていてちょうどの暖かさだと言います。昨日までと違って空気が乾いて爽やかなので、その分多少肌寒く感じるのでしょう。私は薄手のウィンドブレーカーだけで十分です。上空は昼前から青空になり日差しも強いので、風の当たらないところは熱くなる位です。
12時ごろに食事を終えて、再びジブを揚げました。沖島の北端を躱して水道に入る予定です。リーショアにはできるだけ広いスペースを残して走るようにとワイフに注意して水道に近づきます。風波は変わりません。
水道に入ると、西側が沖島の影に入るので、風が急に無くなったり突然吹いてきたりと変化が激しくなりました。沖島の魚港を越えたところでは風が反転して東になったりもしました。ここを過ぎたところで完全に島陰に入ったと見えて風が無くなってしまいました。すぐに機帆走にして水道を抜けて西に向かいました。
沖島の南西端をクリアした辺りから、島陰を出て北の風を受けるようになりました。直ぐにエンジンをカットしチルトアップ、ジブにメインは1ポイントリーフのまま、アビームからフリーの帆走でまっすぐ志賀ヨットクラブを目指しました。
時間は未だ十分あるのですが一気に帰港できそうなのでそのままリーチングで快走。14時30分、帰港。
| イワタニ・プリムスのガスバーナー購入 |
1998年4月18日(土曜日)
大阪駅前の山の店・IBS石井スポーツでイワタニ・プリムスのガスバーナーとカートリッジ(2本)を購入しました。これをBUDDYに積み込んでデッキで使用するつもりです。
| カタログ通販でハンドペアリングコンパス等を注文 |
1998年4月10日(金曜日)
舵社用品事業部のカタログ通販で備品を注文しました。
ハンドベアリングコンパス(アイリス100)
ブルース・アンカー5kg
アンカーチェーンセット2m
アンカーライン10mm×40m
等。
| 6mmロープとカムクリート付きブロックを購入 |
1998年4月8日(水曜日)
ヤマハ肥後橋店で、BUDDYの2ポイントリーフ用に使う6mmØロープ32mとハーケンのカムクリート付き3連ブロックを購入。
| 長命寺の花見 |
1998年4月4日(土曜日)
昨日から雲一つない晴天が続いています。昨日志賀ヨットクラブへ電話をして出かける旨伝えました。スタッフの薮さんが「今日はとても良い風が吹いている。明日は風は多少落ちるが天気は最高でしょう。お待ちしてます。」との事でしたが、その言葉どおりの最高の天気です。朝はちょっと肌寒い気温ですが、天気予報ではお昼には15度以上になるとのことです。
いつものとおりの電車で、9時40分に志賀ヨットクラブに着きました。丁度BUDDYが港内の桟橋に降ろされたところでした。早速エンジンを始動して浜側の桟橋に移動しセーリングの準備をしました。今日の予定、長命寺往復、15時30分帰港を告げて、9時55分出港。
エリの外に出たところでメイン、ジブともに揚げてセーリング開始。東より少し北に寄った風。微風ですが安定しています。波が無いのでセールは綺麗に風を孕んでいます。長命寺方向へはポートタックのクローズホールドでぎりぎりです。最初はスタボータックで北上し頃合いを見てタックして長命寺を目指す事にしました。
今日の長命寺行きは、先週はまだ開花していなかった桜見物が目的です。昨晩は風も穏やかな晴天だったので湖面はすっかり冷え込んで空気が冷たく、クローズホールドの見かけの風を受けると結構寒い。ワイフは寒がって衣類を次々と着込んでいます。最後にはGillのオーバーズボンとジャケットまで着込んで真冬の態勢です。
風は徐々に良くなってきました。11時ころには風は北北東。クローズリーチで快適なスピードで長命寺を目指します。時々ちらりと小さな波頭に白い泡が見える程度の風で快適です。
ワイフがあまりに寒がるので、日の当たるスタボーサイドのコクピットに寝袋を出してそこに潜り込む事になりました。これで多少暖かくなったようで暫く昼寝をしていました。
12時少し前には長命寺から湖岸を北上する道路沿いの桜並木が見えてきました。近くへ寄せる前にワイフを起こしセールを降ろしました。機走で湖岸に寄せて桜見物です。艇を止めると日差しがとても暖かです。
長命寺港からもヨットが何艇か出てきて、これらの艇には数人のお客さんが乗っていて賑やかです。やはりお花見のようです。
そこから湖岸を南下して長命寺港の少し南まで下り昼食にしました。アンカーを入れるにはモーターボートなどが走っていて都合が悪そうなので、セーリングしながら食事をとる事にしました。メインセールだけを揚げて、舵をショックコードで固定して風なりに艇を走らせながら食事をしました。
12時40分ごろ、観測塔と沖島南端を結ぶラインを北へ越える辺りまでやって来ました。風も手頃なのでワイフがクローズホールドとタッキングの練習をする事にしました。1時間ほど真上りでのタッキングを繰り返しました。13時45分、そろそろ志賀ヨットクラブへ帰ることにしました。帰りはランニングとジャイブの練習です。
15時35分帰港。
和邇駅17時5分発の電車で帰りました。
| 長命寺の桜はまだ蕾、帰りにジェネカーでのジャイブの練習 |
1998年3月29日(日曜日)
昨日夕方、志賀ヨットクラブへ電話を掛けて出かける旨を伝えました。本当に久しぶりに日曜日に出かけます。
金曜日は日中雨、その夜から晴れ。土曜日は移動性高気圧の前半で安定した天気。そして今日は全国的に安定た広い移動性高気圧に覆われて、春霞のかかるような穏やかな天気になるとの天気予報です。
尼崎では朝早くから雲一つ無い上天気です。
いつものとおりJR塚口駅7時52分発の電車で、尼崎で新快速に乗換え、京都で湖西線に乗換え、和邇駅9時15分着。
志賀ヨットクラブまでの田圃の畦道に土筆が沢山顔を出し、スミレも咲いていました。
9時30分、志賀ヨットクラブに着きました。日曜日なのに利用者は相変わらず少ないです。それでも既に一組だけテーブルを囲んでいるメンバーが居ました。しかし、降ろされている艇はBUDDYだけでゲートもまだ閉まったままです。すぐに燃料タンクをセットしてエンジンの始動の取り掛かります。スターターロープを引きます。1回目は失敗。2回目は掛かったがすぐにエンスト。ちょっと考えて、これは燃料が十分に送られていないと見当を付け、ポンピングしてからスターターロープを引くと今度は無事に掛かり安定したアイドリングに入りました。
セールの準備などは沖に出てからのことにして、ワイフが乗り込んだところですぐに出港することにしました。スタッフの薮さんは、次の艇を降ろす準備に忙しいので、目的地は長命寺、帰港時間15時30分と大声で告げておきました。桟橋には次の出港予定の艇に同乗のメンバーが4人ほど待っています。挨拶して9時45分出港。
極弱い東南東の風です。所々に縮緬皺が見えるだけで湖面の大半はのっぺりとした鏡のような穏やかさです。湖東の長命寺、沖島、南の琵琶湖大橋のあたりは春霞のなかにうっすらと煙ったように見えます。上空には雲は全く見えないのですが、こちらもなんとなく霞んでいます。
エリの外に出でたところでエンジンをニュートラルにしてセーリングの準備に掛かります。舫いロープ、フェンダーを艇内に取り込んで片づけました。次にブームカバーを取ってレイジージャックでブームを支えメインセールをいつでも揚げられるように準備。ジブセールもセット。ここまでの作業は私一人でやりました。その間に、ワイフはキャビン内で着替えを済ましコクピット周りの準備です。交替で私もジーパンからジャージーに着替えます。
準備が調ったところで、メインセール、ジブセールを揚げました。東の風に合せてポートタックのクローズホールドで南東に向かいます。少し遅れて志賀ヨットクラブを出たもう一艇は、機走で南に進路を取っています。
風があまりに弱いのでセーリングで長命寺までは到達できそうにありません。そのうち11時前に風が弱まり一面のべた凪になってしまいました。仕方が無いのでセールを降ろし機走で長命寺を目指します。
ワイフのヘルムで機走
長命寺周辺の桜が開花している事を期待していますが、まだ霞んでいて見極められません。機走での艇速は風が無く波も全く無いという良い条件なのでフルスロットルで11km/hほど出ています。この艇の機走の最高スピードでしょう。
11時50分頃、長命寺北側の湖岸に接近しましたが、桜はまだまったく咲いていませんでした。12時、長命寺港に到着。今日は着岸するつもりはありませんが、港内に入り岸壁と着岸可能場所の下見をしました。西のヨット溜りは槍着けで満杯、奥の低い岸壁は横付け出来そうです。東の桟橋には大型ボート、大型ヨットが横付けしていました。二回港内を回って見学しました。
港外に出ると12時を少し回ったところで、北寄りの風が程よく吹き始めました。セーリングで北西に向かいながら食事にしました。穏やかな湖面、微風ですが強さ方向とも安定した風なので、舵をショックコードで固定したままメイン・ジブをトリムしたらあとは手放しで帆走できます。暫くそのままで、食事をしました。北の風が徐々に良くなってきて、コースを西北西に取りクローズリーチで6.5km/hのスピードが出ています。
食事を終えるころには風ももう少し強くなりましたが、波が大きくなるほどではありません。殆ど波の影響が無い帆走なのでヒールも一定でピッチングもローリングも波による動揺も無い快適な帆走が続きます。
クローズホールドの真上りで北を目指します。クローズホールドになると見掛けの風が強くなって寒く感じます。ワイフはオーバートラウザーを履いてライフベストの上からジャケットを羽織っています。途中からデッキは寒いからといって艇内に入りジェネカーを枕に昼寝をしていました。艇は快調に北上し、沖島の北端と近江舞子を結ぶラインを北に越した辺りで、13時30分になりました。風も少し弱くなってきたので、13時35分にタックしてジェネカーを揚げ、志賀ヨットクラブへ帰ることにしました。
風は北東、志賀ヨットクラブをダイレクトに目指すと真追手になります。ジェネカーでのリーチングでジャイブを入れながら志賀ヨットクラブを目指すことにします。ジェネカーを揚げる時には、ヘルムはワイフが担当。ジェネカーの揚げ降ろし、トリムをワイフは未だ経験したことがないからです。ジェネカーでのリーチングは何回も経験していますが、二人ともジェネカーでのジャイブの経験は少なく、今日は風も穏やかで波もないのでジェネカーでのジャイブの練習には最適です。
まず艇をポートタックのリーチングにして、スタボーサイドのライフラインにジェネカーのバッグに付けられたフックを掛けます。両サイドのジェネカー用のシートを、スタンション、ライフライン、ステイの外を回しでクリューにセットします。タックロープをセットしジェネカーポールを伸ばしてタックロープは引き込んでクリートします。ピークにハリヤードをセットします。通常ならここでジブの裏にジェネカーを揚げるのでしょうが、今回は練習なのでコントロールすべきセールやシートを少なくするために、先にジブを降ろすことにしました。降ろしたジブを雑索でまとめてデッキに縛っておきます。これで何時でもジェネカーを揚げる準備が出来ました。
ジェネカーシートがいつでも引き込めるようにコクピットでヘルムを取るワイフの手元に置いて、私は一気にジェネカーハリヤードを引きました。すかさずワイフがシートを引き込むと一発でジェネカーが広がり艇速が一気に8.0〜9.0km/hに上がりました。見かけの風が前に回りポートタックのアビームリーチ状態になりました。そのまま艇を南に向けて走らせます。観測塔を西に見て暫く南下を続けます。
走りが安定し落ち着いたところで、ジャイブの練習に入ります。二人で細かく手順を確認し合います。ジャイブ開始。ゆっくり風下に落としてゆくと直ぐにジェネカーがつぶれました。ここで私は反対サイドのジェネカーシートを引き始めました。ワイフはジャイブの舵取りに慣れていないので思い切りが足りません。あまりにゆっくりと艇を回していたものですから僅かの風の振れで一度返り始めたブームがまた元に戻ってしまいました。ジェネカーのシートは緩めてしまっているので大きくシバーし始めました。もう一度すぐにジャイブするように指示して、再度ジェネカーのシートを引き始めると何とかジェネカーは返りました。しかしワイフが座っているお尻の下に反対サイドのジェネカーシートがあったものですから、私がシートを引いてもクリューが引けませんからジェネカーが緩んだままです。ワイフは自分の尻の下にジェネカーシートがあってそれを押さえ込んでいるために私のシートが引けないことに気が付きません。ジェネカーがきちんと孕まず大きく揺れたりシバーしたりするものですから、ワイフは慌ててしまってヘルムも安定しなくなりました。結局、ジェネカーはシバーさせたまま、私が舵とシートをワイフから交代してコースを安定させてから、ワイフを立たせてジェネカーシートを引き直してジェネカーを安定させました。
丁度志賀ヨットクラブへ向かうコースに乗っているので、そのままジェネカーで進みました。15時、観測塔を北に見て通過。しばらくしてジェネカーを取り込みました。この作業は一発で決まりました。ハリヤードを一気に緩め、素早くシートを手繰ってジェネカーの端をつかみ、ジェネカーを大急ぎで両手で抱え込むように丸めてバウデッキに引き込みました。引き降ろしたところで、セールの中央部からジェネカー収納袋に押し込み、最後にタック、クリュー、ピークを袋に押し込んだところで、各シート、ハリヤードを外して、収納完了。今日のジェネカーの練習は終わりです。
そのあとすぐにジブ、メインともに降ろしました。機走で志賀ヨットクラブへ向かいます。
15時30分着桟。すぐに上架するとの事で、後片付けは陸上で行いました。
和邇駅16時29分発の電車に乗り、17時50分過ぎに帰宅。
| 艇の掃除と整備に出かけた |
1998年3月14日(土曜日)
今日は艇の掃除と整備のために、ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。昨日、志賀ヨットクラブへ電話をしてスタッフの藪さんに「艇の掃除と整備に出かけるので電源と延長コードを貸してもらいたい」とお願いしておきました。
いつもと同じ電車で、荷物(寝袋とフリースのブランケット2組)をキャリーに積んで運びました。
クラブに着くと、スタッフの薮さんが、艇の整備なら桟橋の前のヤードの中央の方が便利だと船台を引き出してくれました。
まず船内のものを全て外に出して、クッションを取り出し、小型電気掃除機でごみと埃を吸い取りました。その後、汚れの目立つところを水拭きし、棚の中のものの整理をし、工具箱の整理もしました。古くなったロープや余ったロープで雑索も作りました。艇内が片付いたところで12時になったので、昼食にしました。
午後は、私が物を艇内に納める一方、朋子は合羽を着て長靴を履いて、艇の底を洗った。ホースで水を掛けた後はモップで洗うより、雑巾で手で拭くほうがきれいになるし案外楽だという事が分かりました。ハルの側面上部はデッキに腹ばいになり上から手を伸ばして拭きました。しっかり綺麗になりました。15時30分、掃除完了。
燃料も満タンにしてもらって、今日の作業は終了。
今日、艇を点検していて気が付いたこと。
(1)ティラーエクステンションをティラー上に止めるスナップが壊れていました。無くても問題はないので、外してしまいました。
(2)ラダーの後縁に小さな傷。スタッフの藪さんが、補填材で埋めておくとのこと。
(3)2ポイントリーフ用のアイをブーム下に付けて、カムクリート着きブロックを購入すること。
(4)リーフロープのエンドを止めるブーム上の小クリートが必要。YAMAHAに作業依頼。
| 強風と時雨の中、白髭神社往復 |
1998年1月31日(土曜日)
ワイフと二人で今年2度目の琵琶湖です。先週末から木曜頃まではこの冬一番の寒さでしたが、昨日は穏やかで比較的暖かでした。今日は弱い冬型の気圧配置で、最初は南西の風が午後に北西の風になるとの予報です。
いつもと同じ電車で尼崎で新快速、京都で湖西線に乗り換え、和邇に9時15分着。
京都までは快晴あるいは晴れでしたが、琵琶湖の上空にはところどころに大きな雲が見えます。比良の山も沖島もくっきりと綺麗に見渡せます。湖岸では南西〜西の風があります。
9時35分、志賀ヨットクラブに着きました。メンバーの姿は一人もありません。スタッフの手でBUDDYは既に港内の桟橋に舫われていました。
今日は風もあって寒そうなので、雨具のトラウザーをオーバーパンツにして防寒対策にしました。ワイフが着替えてくるのを待つ間に、船外機の始動に掛かりました。燃料タンクは昨日注文したとおり満タンにしてありました。燃料ホースを接続して、スターターロープを2回引いたところでエンジンが掛かりました。アクセルレバーを下ろすのがちょっと早目だったので、1度目はエンストしましたが、2度目は一発で掛かり、しばらく暖機運転して回転を安定させました。エンジンは快調で寒くても殆ど問題が出ないのでありがたい。
コクピットの周りは雪の残りで濡れています。スターン部にはまだ雪が残っていました。
9時50分、出港。今日の目的地は前回鳥居まで行き着けなかった白髭神社とし、15時30分帰港予定を告げました。
エリの外まで機走したところで、セールを揚げることにしました。風は南西ですが、波は南からやってきます。艇を南に向け、スタボータックでメインを上げ直ぐにジブも上げて、コースを東から徐々に北東に向けランニングに移りました。ワイフにスタボータックのランニングの舵を預けて、私は船外機をチルトアップしようとしていましたが、突然ジャイブしてしまいました。おお慌てでティラーを代わりました。
ワイフはランニングに慣れていないのです。クローズホールドの走りには慣れてきていますが、クローズホールドの場合は積極的にティラーを押し引きすることはほとんど必要ありません。どちらかと言うと艇のウェザーヘルムを舵でちょっとだけ修正するというような操作です。風向の微小な変化もティラーにはさほど影響を与えません。極端に言い方をすれば、少々風が振れても艇が勝手にタックしたりはしません。
ところがランニングの場合には、風の強さの変化が即ウェザーヘルムを変化させて艇の方向を変えようとしますし、真追っ手に近ければごく僅かな風向の変化でセールが返ってしまいます。突然、艇が勝手にジャイブしてしまうと言うこともあり得ます。ランニングではヘルムは決して気を抜くことは出来ないのです。
冬の風は夏の風より圧力が大きくて、夏の同じ風速の風以上の力があります。冬のワイルドジャイブは特に注意が必要です。
こんなハプニングの後は、フリーで北を目指しました。時々強くなる風は南から白波を送ってきます。岸寄りの波は小さいのですが、東の沖合いには山の影響を受けない強い風と波があります。思いの外に強い風なので、スピードが上がります。
安定した帆走が難しくなる前に早目にリーフする事にしました。そこで再び艇を南西に向け風に立ててリーフしようとしました。ワイフに舵を任せて、艇を風に立てるように指示しました。そこで一気に1ポイントリーフしようとしたましたが、クリュー側が何故かしっかり下まで引けません。メインシートをクローズホールドで目一杯に引いているためにブームのエンド側が下がり気味になっているためでした。メインシートを少し緩めるのとタイミングを合わせてリーチ側のリーフロープを引くとクリューがしっかり引き込まれてリーフが決まりました。
メインハリヤードの張力を調整しようとしている時、隣のジブハリヤードのストッパーに手が触れて緩めてしまいました。その所為で、ジブが大きく強くシバーして中間あたりのハンクスが外れてしまいました。このジブのハンクスはプラスティックの切り込みタイプなので外れる可能性が無いことはないのですがディンギーの時代も含めて初めての経験です。大急ぎでバウに出でてジブを降ろしました。風が強くジブを手から離す煽られてまた上がってゆきますので雑索でパルピットに括り付けました。そしてハンクスを掛け直そうとしました。
すると間の悪い時には間の悪いことが重なるもので、今度はシバーしているメインセールのクリューのリーフロープがクラムクリートから外れてしまいメインセールが緩んで大きくばたつき始めました。メインとジブの両方のトラブルです。ティラーを握っているワイフが二つのトラブルと艇のローリングで慌ててしまっているので、艇を安定させて落ち着かせるためにメインセールも降ろす事にしました。艇はメインセールをシバーさせながら何とか上手に向いていましたから一気に降ろすことが出来ました。メインセールを降ろしてしまえばメインセールがシバーして「バン、バン」と鳴る音も無くなり、大きなヒールも無くなって安心して艇上の作業が出来ます。ワイフも慌ててパニック直前の状態でしたが、これで直ぐに落ち着きを取り戻しました。艇は、セールを降ろしても、東の沖合いに向けているだけで艇にかかる風圧だけでアビームリーチで走っています。ジブのハンクスを付け直しました。
そこで、ジブだけ上げてみました。この90%の細いセルフタッキングジブだけでも結構なスピードでアビームまで走ります。少し沖に出たところで、ジブ帆走のままスタボーからポートにジャイブしました。南南西の強い追い風でまっすぐ近江舞子沖を目指しています。空は時折雲が太陽を隠し時雨がきそうです。西の比良の山並みの上から中腹あたりでは所々白く糸を引いたような時雨模様が見えています。今のところその時雨も湖上にまでは届かないようです。
青柳浜沖を過ぎるころまでは、風は強く吹いたりちょっと弱まったりしていたが、その間隔が狭まってかなり強く安定して吹いてきました。その風とともに南からの波も大きくなってきました。昼食を摂るのに一休みしたいので、近江舞子の桟橋近くまで寄せて風の弱くなるところを探そうとしましたが、ちょうど天気が悪いほうへの変わり目で山からみぞれ交じりの時雨が吹いてきました。
近江舞子方向に低い虹
上の写真の左側に見えるリトル比良の稜線は雪でうっすらと白くなっています。
これでは、風と時雨で寒いだけなので一休みにはなりません。二人とも雨具を出して着込み再びジブだけのランニングで白髭神社を目指します。ランニングなら見かけの風が弱くなるので風での寒さは感じずに済みます。交替で弁当を食べました。テルモスの熱いお茶とコーヒーが最高に美味しいです。
天気予報では、午後は弱い冬型の気圧配置になるという事で風が北西に変わるという事だったので、北西風を期待していたのですが、どうも西風が強くなってきそうです。風は少しずつですが南西から西南西に変わりつつあります。ジブ帆走でのランニングが順調に続き、11時40分ころ白髭に近づいたので、ジブを降ろして機走に切り替えました。今日は、白髭神社の沖の鳥居の直前までBUDDYを進めて湖にお賽銭を投げ入れて、きちんと参拝しました。
白髭神社の湖中の鳥居
鳥居の中に鳥居が見えて、その正面に拝殿が見えています。
お参りが終わったらあとはもう寒くて堪らないので、帰心矢の如し。機走のまま一気に志賀ヨットクラブを目指しました。
風は南西から西に変わり、山から吹き降ろしてきます。黒い雲も多くなり、太陽を隠す時間のほうが多くなりました。時折みぞれ交じりの時雨が吹き付けてきます。見かけの風は南西、進路方向からちょっと湖岸寄りです。波も大きくなったのでバウからスプレーも飛んでくるようになりました。
みぞれ交じりの時雨もやって来たりしてデッキ上では寒いので、交替でキャビン内で休みながら機走で一気に帰るのが楽でしょう。この風と波を考慮しても距離的には2時間あれば十分帰れます。できるだけ無駄の無い一直線のコースを引いて走らせます。思っている以上に西風でのリーウェイがあるので、バウをかなり西向きの目標物に向けていて丁度です。
帰りにもまた同じような虹が見えた
西から風に流されてくる時雨の粒が虹を見せるのでしょう。
キャビンで休憩して元気が出てきたワイフ
松ノ浦の沖を通過するころに比良山側からの風が非常に強くなりました。この辺りに西からの風の通り道があるような感じです。この風は直ぐに通りすぎて、志賀ヨットクラブが近くなりました。今日は全くセールの影を見ていませんでしたが、やっと蓬莱浜のあたりに1艇だけディンギーのセールを見つけました。この風、この寒さでディンギーです。奇特な方もいらっしゃるものだと感心しました。
志賀ヨットクラブ沖
上の写真は、志賀ヨットクラブを目前にしたBUDDYです。直前の強風と波でまだデッキが濡れて光っているのが見えます。
ヨットクラブの前のエリが見えてきたあたりで、志賀ヨットクラブへ携帯電話で程なく14時に入る旨連絡しました。タイミング良くゲートを開けてくれたので、そのまま港内の桟橋に着けました。
すぐに上架してもらい、セールの後片づけをしました。
いつもよりほぼ1時間早く17時前に帰宅しました。
| 今年最初のセーリング、白髭神社沖へ |
1998年1月17日(土曜日)
ワイフと二人で今年最初の琵琶湖行きです。昨夜から天候が回復して晴れ。夕方まではなんとか持ちそうな天気予報です。
いつものとおりの電車で尼崎で新快速に、京都で湖西線に乗り換え、和邇駅に9時15分着。
今日は、昨年末に購入したばかりのドコモの携帯電話を持参しました。緊急時の連絡手段になります。
京都までは晴れの空が続いていたのですが、西大津を過ぎてると琵琶湖周辺は濃い霧に覆われていました。堅田の手前からは、先ほどまで雨が降っていた後がはっきり分かるような天気です。比良山脈も雲の中に隠れて見えません。それでも、和迩駅から志賀ヨットクラブに向けて歩くころには、雲が薄くなってきて雪景色の蓬莱山の山肌が所々うっすらと覗くようになってきました。時々、雲間から日も射し始めました。
9時35分、志賀ヨットクラブに着きました。メンバーの姿は無くて、出勤しているスタッフ2人の姿だけです。直ぐに艇を降ろして貰うことしました。
風はほとんど無く湖面には朝霧が残って、対岸どころか観測塔さえ見えません。しかし、上空の雲は時間と共に薄くなってきて、時折雲を透して太陽が月のように丸く見えるようになってきました。
ワイフが着替えている間に、エンジンを始動して出港の準備に取り掛かります。朝露でデッキが濡れているので、雑巾でコクピット周りの水気を拭き取りました。
9時45分、出港。目的地は、沖島方面、15時30分帰港予定。
東からの微風。湖面の霧と上空の薄い雲は、この東寄りの風で徐々に吹き払われて行きそうです。冷え切ったエンジンを偶には運転に慣らしてやろうと10分間ほど機走しました。その後、セールを揚げましたが、波はほとんど無く、天気が良くなってくるに連れて風がますます弱くなってきました。こうなると、沖島に向かうことよりもなんとかセーリングしたいという方に気持ちが向かいます。そこでジェネカーを使う事にしました。東の風にあわせて、スタボータックでジェネカーを上げ、北を目指します。
段々と天気が良くなってきました。風が極弱いので暖かいくらいです。時々風が落ちると、ジェネカーがだらりと垂れ下がります。それでも何とか北に向かって進んではいます。松ノ浦と近江舞子の間あたりに来たころ、比良の山並みに掛かっていた雲も全く無くなって、稜線に近い上部が雪に覆われた美しい眺めになりました。
11時30分頃、食事をする事にしました。風はますます弱くなりぽかぽかと暖かです。ゆっくりと食事を済ませましたが、風は吹きそうにありません。
13時30分頃、上空がうっすらと曇り始めました。風は完全に無くなってしまいました。諦めて機走にすることにしました。ワイフが白髭神社へお参りしたいと言い出しました。そこで、セールを片付けブームにカバーも掛けて機走に切り替えました。ワイフがスターターロープを引いて一発でエンジンを掛け、ティラーを握って白髭神社を目指しました。
時間的には白髭まで30分以上かかります。そこまで行くと帰りには1時間半以上は掛かります。そうすると帰港時刻が15時30分を過ぎる可能性が大きくなります。30分ほどフルスロットで走り、白髭神社の沖の湖中にある赤い鳥居がなんとか確認できたところでお賽銭を上げてUターンしました。
波も風もなかったからでしょう、BUDDYのスピードが上がり意外なほど早く15時20分に帰港できました。
燃料タンクはほぼ空です。次に来る時に満タンにしてもらう必要があります。後始末をして15時45分にヨットクラブを後にしました。
和邇駅16時5分発の京都行き普通電車に飛び乗って、18時前に帰宅しました。
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