2003年
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Update (2003/12/26)      

bullet2003年最後のセーリング

2003年12月26日(金曜日)。志賀ヨットクラブは、今年最後の営業日。寒いのは覚悟で、出掛けました。朝方は小春日和のような晴れ間のある天気のように見えましたが、湖上に出ると11時ごろから、比良山脈を覆う雪雲が湖岸の上空から湖全体を覆うようになり、風と一緒に時折顔に細かな水滴と言うか氷の小さな粒が当たるようになってきました。
風は時折、ふっと跡絶えるものの、すぐに西から北東までの範囲で振れながら吹きます。強風時は12〜15m/s。強風時は西から北西、弱まると北東にまで振れます。
コースは志賀ヨットクラブから東の観測塔へ、観測塔から白髭へ。白髭13時でタック、湖岸を230度のコースで志賀ヨットクラブへ。近江舞子の東沖合い辺りから、比良山脈を西から吹き降ろす強風で一面の白波になり、ワンポイント・リーフのアビームで快走。志賀ヨットクラブまでの10kmは西北西の強風が吹き続け、40分で走りきりました。強風が10分ほど続くと、結構波が高くなり、アビームでもバウが波を切るときに高くスプレーが上がり、デッキを洗います。15時の帰港予定のところ、14時20分に到着しました。

蓬莱山・打見山の稜線・谷筋に白くみえるのは雪
蓬莱山・打見山の稜線・谷筋に白く雪が見えます

光の方向は琵琶湖大橋
光の方向は琵琶湖大橋

虹の下が近江舞子
虹の下が近江舞子

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Update (2003/12/17)      

bullet悲しい出来事−その後

2003年12月9日(火曜日)朝日新聞夕刊に、琵琶湖でヨットが転覆・沈没した事故の原因などの鑑定に関する記事が載っていました。滋賀県警が大阪府内の大学教授に依頼した鑑定結果を受けて、操船者を業務上過失致死の疑いで被疑者死亡のまま年内に書類送検する方針だ、というものです。

その鑑定によると、次の3点が指摘されています。
(1)乗員12人のうち多くが左舷側にいて左側に重心がかかる中、ヨットが左方向に旋回し、帆の操作が適切でなかったことなど幾つかの要因が重なって横転した。
(2)横転しても船底の重りで復元し、沈まない構造とされるヨットの沈没原因については、マストの先端付近などで複数の乗員の指紋が検出されたことなどから、ヨットの横転後に乗員がマストにしがみつき、横転状態がしばらく続いたため、船室入り口から室内に大量の水が流れ込み、浮力を失った、と推定される。
(3)ヨットに構造や整備上の欠陥はない。

県警は、これまでの捜査で、操船者の遺体からアルコール分が検出され、死亡した乗員(6名)全員が救命胴衣を着用していなかったこと、操船者が飲酒後に出航し、乗員に救命胴衣の着用を指示しなかったとして、危険を予測し回避する注意義務を怠った可能性が高いと判断したとみられる、ということのようです。

登山やヨットなどは、大自然の影響を直接肌身に受ける命がけのスポーツだと言えます。安全に楽しむために、常にあらゆる状況に対処できるように完璧を目指して準備努力する姿勢が必要だと言うことでしょう。

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Update (2003/12/05)      

bullet快晴だけれど無風はちょっと辛い

2003年12月5日(金曜日)。移動性高気圧に覆われて朝から雲一つ無い青空。朝9時前には、霧も晴れて、風さえあれば最高なんですが、残念ながら超の付く微風。11時半ごろから2時間くらい、微風ながらセーリングが楽しめる程度の風に。

午前10時、出港直後。観測塔に重なって見えるのが沖島。

12時、沖島。

午前10時、出港直後。観測塔に重なって見えるのが沖島。 12時、沖島。

しかし、午後2時ごろからは再び琵琶湖全体に油を流したようなベタ凪。夕方には少しは風が吹き出しはしないかと期待しましたが、結局日没直前まで風は吹いてくれませんでした。残念。

午後2時過ぎ、近江舞子沖。

午後4時、夕日の真下が志賀ヨットクラブ。帰港前。

午後2時過ぎ、近江舞子沖。 午後4時、夕日の真下が志賀ヨットクラブ。帰港前。

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Update (2003/09/24)      

bullet悲しい出来事

2003年9月15日(月曜日)。連休最後の日の夕方、私の所属する志賀ヨットクラブで、悲しい事故が起こりました。同クラブをホームポートとするFALCON(ファルコン)が転覆沈没するという事故があったのです。子供4人を含む12名全員が遭難し、5名は自力で泳ぎ着くなり救助されましたが、残る7名は行方不明となりました。24日現在、6名が遺体で発見され、1名が尚行方不明のままです。
22日には、海難審判の手続きが開始されました。事故の原因と詳しい状況が究明されることでしょう。

同じクラブに所属するものとして、私と妻も19日の行方不明者捜索にボランティアで参加しました。そのとき、志賀ヨットクラブに待機されていた事故に遭われた方々のご家族が、憔悴されながらも行方不明者を気遣い、捜索に参加する人々に配慮され、不安と悲しみに耐えておられるのは、見るに忍びないものがありました。

20日には沈没していた艇が引き上げられ、オーナー・スキッパーの遺体も発見されました。行方不明者の捜索が一段落すれば、今後は事故原因と責任の問題の究明に焦点が移されてゆくことになります。

私たちは、この事故を悲しい教訓として、安全なセーリングのための心得を徹底しなければなりません。

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Update (2003/08/02)      

bullet快適:スナッファー

2003年8月1日(金曜日)。長かった梅雨がやっと明けて真夏の日差し。北東の軽風がコンスタントに吹いていて、大きな波はありません。クローズホールドでタックを繰り返し、お昼前に近江舞子の沖で一時的に風が落ちたので、水に入って泳いで遊んだりしました。再び風が戻ってきた時には、少し北に触れていて、徐々に北の風になりました。白ひげ浜と沖島北端の間辺りまで来たところで、再び風が落ちました。暫く水遊びをしていると、すぐに風が戻ってきましたが、今度は北西の風です。この風だと、アビームで志賀ヨットクラブまでまっすぐにジェネカーで走ることが出来ます。

早速、スナッファーをセットしたジェネカーを上げてみました。上げ下げはとても楽です。ジェネカーは、スナッファーをセットしてスリーブに納めた状態で、ジェネカー用の丸いセール袋に収納しています。その収納袋ごとライフラインに取り付けておきます。袋の中には、スリーブに収まったジェネカーがとぐろを巻くように詰めてあります。ジェネカーのピークはスリーブのピークですからこれをハリヤードに、タックをバウスプリットのタックロープにに取り付け、クリューにシートを取り付けます。そのままハリヤードを引いて、スリーブに納めたままで、マストに上げます。

スナッファーをセットしたジェネカー

後は、スリーブを引き上げるロープを引いてやれば、スリーブがピークへ向かって手繰られて行き、ジェネカーは自分で風を孕んで広がります。

スナッファーを引き上げ、展開したジェネカー

降ろすのも、非常に簡単で、殆ど抵抗はありません。最初は、風を孕んでいるジェネカーをスリーブに納めるのには相当の力が必要ではないかと思っていましたが、全くの杞憂でした。FRP製の取り込み口が滑らかで、吸い込むようにジェネカーがスリーブに収まって行きます。一旦スリーブに収まってしまうと、風の抵抗はほとんど無く、そのまま艇内に取り込んでしまえばセールの収納も簡単です。スナッファーがあれば、ジェネカーの収納も上げ下げも非常に楽になるので、迷わずジェネカーを使うことが出来ます。微風でのジェネカーの威力は目を見張るものがありますから、スナッファーの導入は正解でした。

近江舞子と松の浦の中間くらいまで南下したところで、2時頃再び風が無くなりました。また水に入って艇に引かれて遊んだりしている内に、今度は全く反対の南東の風が吹き始めました。この風は徐々に強くなり、ポートタックのアビームで一気に志賀ヨットクラブまで帰り着きました。

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Update (2003/07/26)      

bullet快走:沖の白石

2003年7月25日(金曜日)。低気圧が北海道の北東に移動、梅雨前線は南に下がり、気温は夏にしては低目。朝9時、志賀ヨットクラブ周辺では、曇り空、雲高は800mで比良山脈の上部は雲の中、北東の風が5〜7m/秒前後。9時30分、帆走準備を整えて、出港。スタボータックで松の浦へ、タックし沖島を目指しました。11時、沖島に近づいた頃から風は10m前後に強まり、白波が増え波も高くなり、しきりにスプレーを浴びます。ヒールも大きくなってきたので、ワンポイントリーフすることにしました。リーフすると、ヒールが減り、ウエザーヘルムも弱くなるので、安定して走ります。オーバーセールで不安定な走りの時よりスピードも上がるようです。沖島の西でタックして白ひげ浜を目指します。40分ほど走った頃、相変わらず強い風は、徐々に北に振れてきましたので、再びタックして、沖の白石を目指すことにしました。13時、あと15分くらいで沖の白石というあたりで、突然風が落ちてしまいました。安曇川河口から白ひげ浜の方向に雨脚が見えますが、琵琶湖の中央では薄い雲の所々に青空が透けて見えます。折角、ここまできたので、エンジンを掛けて機帆走で沖の白石を回航することにしました。

沖の白石を東から見たところ

帰りは、風は思ったほど回復せず、機帆走を続けました。近江舞子沖にかかった辺りから、風は徐々に北から西に変わり、16時20分、志賀ヨットクラブに帰港しました。11時少し前から13時頃までの強い風が吹き続けていれば、沖の白石からの帰りのレグも、快適な帆走が楽しめたのでしょうが、ちょっと残念でした。でも、今日は、9時30分から13時まで、リーフ直前のちょっと緊張する強風の一瞬もありましたが、スピード感のあるわくわくするような帆走が楽しめました。

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Update (2003/06/30)      

bulletセーリング中:ビデオ

WindowsXPのおまけソフト、Windowsムビーメーカーを使ってみました。といってもデジカメで撮影した動画(AVI)を取り込んでWMV形式で保存しただけです。2003年6月6日(金曜日)、沖島南端から白ひげ浜を目指してクローズホールド中の10秒ほどの動画像です。タイトルを入れてあります。各種コンテンツが簡単に取り込め、各種編集が素人にも簡単に出来るようです。

ファイルサイズが230KBあります。Internet Explorer + Windows Media Playerでご覧下さい。
ビデオ:「沖島南端から白ひげ浜へ」
「沖島南端から白ひげ浜へ」 (直接表示されない場合はクリックしてダウンロードして下さい)

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Update (2003/06/02)      

bulletスナッファー発注

2003年6月2日(月曜日)。(株)ノースセール・ジャパン関西ロフトに、スナッファー(スピネーカー・ソックスともいう)を発注しました。North Snuffer Plusという商品の、最も小さなサイズのタイプでスリーブの長さ7mのものです。
スナッファーというのは、スピネーカーやジェネカーを長い筒状のスリーブの中に収納し、ピネーカーやジェネカーの揚げ降ろしを楽にするシステムです。
BUDDYIIIには、ジェネカーを装備していますが、この揚げ降ろしは結構大変です。特に、風が強まってきた時に、降ろす作業は難物です。フォアデッキに出て、ハリヤードを緩めながら、ジェネカーを両腕で潰して一気に降ろすという作業を独りでこなすのは、並大抵のことではありません。タイミングを失すると、ジェネカーを水に落としたり、フォアステイに絡めたりしかねません。
スナッファーがこの作業を楽にできるということは知っていたのですが、たまたまノースセールのホームページを訪れたところ商品として1ページが設けられ、動画像を含めた詳しい説明があったので、これを導入する気になりました。
メールで細かな質問をしたところ、詳細な回答を得ることができて、ハンドリング・取り付けについても納得できましたので、発注することにしました。現在、BUDDYに適したサイズのものが在庫切れで、入荷までには4週間ほど掛かりそうです。

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Update (2003/05/23)      

bullet赤潮広がる

2003年5月23日(金曜日)。晴れ。先日(16日)にテレビで、守山市の野洲川河口沖で大規模な赤潮が発生したというニュースを報じていました。今日、志賀ヨットクラブに出かけたところ、ハーバー内の掘割にも赤潮が入り込んでいて、生臭いにおいがしています。沖合は一面に赤潮のもとになったプランクトンの死骸が白茶けた粉を撒いたように浮いています。
松の浦から沖島南端を結ぶ線より南側は、ほぼ同じような赤茶色に濁った水に白っぽく変色したプランクトンの死骸が浮いている状態でした。沖島南端から西に1Km位のところから南に向けて、このプランクトンの死骸が幅5メートル位の帯状にびっしりと集まって、長く伸びていました。
今年は、3月に最初の赤潮が発生してから、これで3度目になります。琵琶湖の汚染・富栄養化はますます進んでゆくようです。

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Update (2003/04/18)      

bullet蓬莱山の残雪と長命寺の名残の花

2003年4月18日(金曜日)。快晴、一昨日から南よりの大きな移動性高気圧に覆われて夏のような気圧配置です。お昼には湖上でも23度近い気温になりました。風はほとんど無くて、10時半から12時までの1時間半だけ、やっとセーリングが出来るかなと言う程度の超微風。

志賀ヨットクラブの北西に聳える蓬莱山の山頂付近には僅かに残雪が見えます。

蓬莱山山頂の残雪

ベタ凪の湖面に映る蓬莱山。湖面は春霞。

ベタ凪の湖面に映る蓬莱山

午後は機走で湖東の長命寺まで行って、名残の花を楽しみました。

長命寺港北の桜(1) 長命寺港北の桜(2)

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Update (2003/01/26)      

bullet乗艇100回

BUDDYIIIのログブックを整理していて、今日(2003年1月26日)気が付きました。2002年11月29日(金曜日)の乗艇が、1996年5月5日進水以来ちょうど100回目でした。
1年20回が目標なんですが、なかなか思ったようにはゆかないものです。

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